昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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プラハ・インターナショナルマラソン

プラハに来るまで全く知らなかったが、こちらの3日日曜日は、プラハインターナショナルマラソンが開催されることになっていた。
参加者が一万人にもなる、ヨーロッパでは良く知られた大会らしい。
その為日曜日は、午前9時から午後4時までは、町中の公共交通機関が規制される。
ホテルからのインフォーメーションで、外出は早めに、もしくは控えるように、アドバイスされた。

10時頃に外出すると、確かに至る所に立ち入り禁止のテープが張られていた。
しばらくすると、にぎやかな音楽とともに、歓声が大きくなってきた。
傍にいる美人係員に聞くと、「数分で先頭集団が来るので、応援してくれ」と、少し大きめのステッカーを渡された。
空欄に応援する選手名を書き込み、走ってくる選手に見せるのだと言う。
とは言っても、選手の名前など誰一人知らない。
断っても強引に渡されたので、これも何かの記念と貰い、何も書かないまま広げて応援した。

ラソンは初めて生で見たが、先ず選手のスピードに驚いた。
トップは二人の黒人選手が競っていたが、その後もずっと黒人選手が続く。
白人選手は、20番目くらいで、初めて見つけることができた。
またマラソン選手はほぼ全員が小柄、更には無駄な贅肉は欠片もついていない。
細い足、痩せた体で、修行僧の様な表情で、ひたすら前に進んでいく。

20分ほど遅れて、女性選手の先頭集団が10名ほどで走ってきたが、これも全員が黒人。
その昔は「マラソン王国、日本」と言われた時代もあったが、今やケニアエチオピアの選手には全く敵わなくなっている。
この後すぐに、ホテルに近いゴール地点に移動。
2時間7分ちょっとのタイムで、トップ選手がテープを切るシーンを目撃した。
場内放送は興奮した中継をしているが、こっちは彼がどこの誰ベエか分からないので、ハラハラ感はなし。

ラソンは、その後、午後4時を過ぎても、チンタラとゴールインする素人参加者を迎え続けていた。
走り終わった後は、ボランティアがマッサージをしている。
参加者の体調管理も万全の大会のようで、それもあってヨーロッパの人気マラソン大会なのだろう。
朝からの喧騒は、午後6時ころには、潮が引くように静かになっていった。

この日はプラハ最後の夜。
ラソンに参加した人や、それを応援していた人たちが去っていった町に繰り出し、ラーメンを食べることにした。
インタ-ネットでは、最近はこのプラハにもラーメンショップが開店したが、普通の店構えなので店名を忘れないようにと注意書きがあったが、この日は「RAMEN BAR」の英語だけでなく、下手なカタカナで「ラーメンバー」と書いてあるので、間違えようがない。
僕は豚骨、妻は味噌ラーメンを注文。
日本語ベラベラの男性店員に拠ると、客の80%は日本人、日本のシェフが料理しているらしい。
なかなか美味く、異国で食べるラーメンとしては、間違いなく合格だ。
こんなヨーロッパの中でも地味な地域にも、日本のラーメンが進出している。

但しアジアの観光客を探すと、圧倒的に中国人の数が多い。
続いては日本人だが、中国人の十分の一もいないだろう。
韓国人は、ほとんど見かけない。
やはり国内の景気が不振なのだろうと、ついつい経済まで考えるのは、元企業戦士の悲しい性だ。

これにてプラハ滞在も終了。
明日はバスで、観光地チェスキィ・クルモロフに向かう。