昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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笑いとゆとりが大事

家族に病人がいると、家から笑いとゆとりが激減する。
何よりも、病気の本人が一番辛い思いをしている。
そんな人間は、ちっとも楽しくいないので、基本的にしかめっ面が多くなる。
すると、周りも気を使う。
結果として、家全体がドンヨリとしたムードになる。

現在、僕の周囲には、病人が二人いる。

一人は姉。
昨年8月末、突然脳腫瘍が発症し、最初に言葉を無くした。
一所懸命にコミュニケーションを図るが、まるで違う単語を羅列するので、全く通じない。
日本語を使っているのだが、例えばリンゴを指さしてタンスと言うようなもので、しかもそれが連続するのだから、何が何だか分からない。
我々家族は、姉の表情や身振りと周囲の状況から、姉が言いたい事を推測するしかなかった。
医者からは、「手術は少しの延命効果はあっても、完治は無理。最悪のケースは余命三か月」と言われたほど症状が悪かったので、手術するかどうかも議論が分かれた。
結局は一人娘、僕から見れば姪っ子の判断で、手術に踏み切ったが、その後の経緯は我々家族だけでなく、医者ですら驚くほどの回復ぶりだ。
無論、癌細胞そのものは拡大し続けているので、今も予断は許さないが、少なくとも日常会話には全く不自由がなくなった。
一喜一憂してはいけないと自戒しているが、それでも些細な出来事にも一喜一憂している。

もう一人は妻。
こちらは、5月末に結石になった。
この病気は、耐え難いほどの激痛が走るらしい。
緊急手術をした結果、何とか痛みは抑えることが出来た。
約三週間後の今日が、再手術の日だ。
最初の手術は、腎臓の石を取り除く二回目の本格手術の為の応急措置で、体内にステントを差し込んだものらしい。
違和感がぬぐえないので、妻は何かにつけて不満と不安を漏らす。
再手術が終わりステントを取り去るまでは、心から安心できないし、憂鬱さも払拭できない。
家庭の中心人物の母親が病気になると、日頃は親父とはほとんど口をきかない息子たちですら、やはり心配になるようで、母親に内緒でコッソリと様子を聞きに電話してくる。
こちらは完治まであと半月はかかるが、姉とは違い、重篤な病気でない事が救いだ。

病人がいると、本人だけでなく、周囲全体に遊び心が消えてしまう。
ギリギリでテンパっていると、大らかに構える事が出来なくなり、チョットした事でもイライラする。
これではいけないと思うが、心の余裕がなくなっている。
改めて、健康の有難さを痛感する。
体が丈夫なら、後は何もいらない。
それ以上を求めるのは、健康の大事さを知らない、健康な人の奢りだ。