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東芝不正会計処理問題のその後

現役を含み三代前までの社長と取締役6人、合計9人の経営者が辞任するという、前代未聞の社長交代劇から約一か月、やっと東芝の新経営陣が発表された。
暫定社長だったはずの室町正志元会長が、そのまま社長として居残る人事については、さっそく批判の声も出ているようだ。
 
しかし経営は結果責任
それまでの東芝の好決算は、利益操作によって維持されてきた上げ底だったことがバレタ以上、新経営陣はやり易いとも考えられる。
万が一にダメでも、「前任者の負の遺産が大きすぎた」と言い逃れができる。
中途半端なバトンタッチよりも、却って大ナタを振るえるものだ。
首尾よく名実ともに「世界の東芝」に生まれ変わることができれば、日本だけでなく、世界中から称賛の声が届けられる。
 
だからその限りでは、今回の社長続投に関して、経営の継続性のためには過去の会社状況が分かっている人が望ましいとの判断を下されたことには疑問がある。
少なくとも経営の一端を担っていたはずの前会長の社長続投よりも、まったくフレッシュな人材起用の方がよかったとは思うが、これもまた結果責任
室町社長の「可及的すみやかにガバナンス、内部統制、構造改革を行い、その結果をご覧いただきたい」との社長継続所信表明を、外野席から見守るべきだろう。
 
そもそも東芝経理操作は、実に他愛無いが、しかし極めて人間的な縄張り争いや功名心に拠ることが分かってきた。
三代前の西田社長と、前佐々木社長との確執の結果、選ばれた田中社長が、揃いも揃ってガキの喧嘩のような、メンツの張り合いを繰り返していたようだ。
そんな人物だから、三人とも、よく言えば個性的、普通に見れば変わり者のキャラだ。
田中社長就任の場で、西田、佐々木が罵りあうなど、常識のある人間なら絶対にやらない。
また社長時代の佐々木、田中は、社内会議で聞くに堪えないよう調子で、部下を罵倒し収益達成を命令していたという。
僕自身も経験したからわかるが、経営トップがこんなエキセントリックな調子で会議を主催すると、絶対に反対の声は出てこない。
度量の狭い社長に対して反論すれば、更に高飛車に攻め立てられ、最終的には自分の居場所がなくなることを、誰もが分かっているからだ。
 
海外の会社は勤めたことがないから分からないが、僕は常々、日本の会社は封建社会の領主と家来の関係に似ていると思っていた。
世界的に有名な会社でも、実態は旧態依然とした経営を続けているに過ぎないのではないだろうか。
領主様と違うのは、社長は基本的には氏素性ではなく、前任者の指名によって決まることだ。
だからこそ会社では、偉くなるために、前任者へのゴマすり合戦が繰り返される。
一旦社長になると、今度は役員以下の人事権を握り生殺与奪の権利を手にするので、王様気取りになる。
反対意見を封殺し、ゴマすり官僚を重用する。
その結果社内の会議は、役員会議だろうと部課長会議だろうと、自由闊達な意見交換などは建前に過ぎない。
ひたすら上の顔色を窺う、上意下達方式が徹底されることになる。
そんな環境下では、社長になるのは経営能力よりも、社内、とりわけ時の権力者に気に入られるかが一番大事なので、その能力を磨くことに全力を傾ける。
 
東芝で、社長から目標未達成を叱責された幹部連中が、不適切な会計処理をしてまで辻褄を合わせ続けた社風が問題視されたが、それは決して東芝固有のものではなく、封建領主と化した会社社長に逆らうことが許されない日本の多くの会社に共通の問題だ。
だからこそ、その問題が白日の下にさらされた東芝は、むしろ体質改善のチャンスととらえた方が良い。
出来の悪い封建領主である社長は、自らを反省することは決してない。
次の社長は、自分を大事にしてくれる子飼いを選ぶに決まっている。
 
僕の先輩が、名言を吐いた。
オーナー経営者は、自分の立場が安泰だから、能力をある部下を重宝するが、サラリーマン経営者は、自分の身を守るために好き嫌いで自分の後継を決める。
その結果、前任者よりも30%は能力のない人物が次の社長になるのだから、これが三代も続けば、経営能力がまるでゼロの人間が社長の座を射止めることになる。
今回の東芝事件で、図らずもこの言葉が正しかったことが証明された。
そしてこれは東芝だけではなく、一般的には大企業と言われる有名会社にも、かなり当てはまるはずだ。