昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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自衛隊と安保法案の関係

関東から東北へ、大雨降水地域が移動。
いずれでも大変な被害が出た。
特に常総市で鬼怒川の堤防が決壊、泥水が市街地へ流れ込むシーンには驚いた。
自然の猛威を前にすると、か弱い人間は立ちすくむしかない。

それにしても、救援に向かった自衛隊の何とたくましく、頼りがいのあることか。
身の危険をも顧みず、冷静沈着に被災者を救援する自衛隊員の活動を見て、改めて彼ら自衛隊の必要性を痛感した国民も多いはずだ。
今や、一旦災害や緊急事態が発生すれば、自衛隊が救助に駆けつけるのは当たり前の光景になった。
被災者からは素直に自衛隊への感謝の気持ちが表明されるし、自衛隊の存在感は日増しに高まっているが、一昔前まではこうではなかった。

自衛隊は、警察予備隊として設立された。
自衛隊憲法違反との批判を避けるために、窮余の一策で「警察の一組織」を名乗ったものだ。
自衛隊が設立された昭和29年は、それほど自衛隊に対してのアレルギーが強かった。
しかしその後は、自衛隊憲法違反との反対意見は、全く姿を消した。
悪名高い自社さ政権当時の首相、村山富市でさえ、それまでの社会党の主張をコロリと捨て去り、「自衛隊は合憲」と認めたほどで、もはや自衛隊に反対する勢力はいない。

今やすっかり国民の生活の中に定着してきた感のある自衛隊だが、しかしながら自衛隊は「自衛のための軍隊」であることは間違いない。
自衛隊は英語で「Japan Self-Defense Forces」と自称しているが、このような呼称は国際的には通用せず、通常はArmyやAir Forceと認識されている。
即ち自衛隊の実態は、軍隊そのものであり、軍備を持つことを放棄した日本国憲法に違反していることは明白なのだ。
だから長い間、野党は「自衛隊は明確な軍隊で、憲法に違反している」と、繰り返し自衛隊を批判していた。
フォーク歌手、高石ともやは「自衛隊に入ろう」と、新宿駅前のフォーク集会で皮肉たっぷりの歌を歌い、喝采を浴びていたこともある。

自衛隊にとっては、辛く長い冬の時代を乗り越えて今があるのだ。
しかし自衛隊の活動を、本物として将来的にも担保するためには、憲法九条を改正しなければならないのもまた事実だ。
ところが憲法改正と聞いた途端、ヒステリックに「戦争だ」「ファッショだ」と喚き散らす輩やグループが存在している。
やむに已まれず、憲法の拡大解釈で、自衛隊を社会に定着させてきたのが実態なのだ。

今も評判の悪い、安保関連法案もそうだ。
この法案もまた、憲法違反を指摘されている。
憲法学者だけでなく、民主党をはじめとする野党は、鬼の首でも取ったように騒ぎ立てている。
本来なら、憲法を改正した上で安保関連法案を成立させるのが筋だろうが、やはり憲法至上主義者を説き伏せるには、多大な時間と労力を必要とする。
安倍政権は、ならば憲法解釈により、目前の中国や、北朝鮮からの危機に備えるしかないと考えたのだろう。

多数のノポドンを日本に向けて設置している北朝鮮や、抗日70周年記念軍事パレードで、持て余すような武器を誇示した中国を、危険と見るか、心配ないと見るかは人による。
いずれの国も大丈夫と考える人は、戦争など起きるはずがないし、日本が戦争に備えることが戦争に巻き込まれると不安がり、安保関連法案に反対する。
一方、中国の海外進出、とりわけ日本を含む南沙諸島への侵略行為に現実的不安を持つ人は、安保関連法案法制化が絶対に必要と思い、安倍政権を支持する。
賛否が分かれ話し合いでの決着が難しいなら、議会制民主主義の原則に則って事を進めるしかない。

僕は、後者の立場だ。
北朝鮮はいずれ自壊するだろうが、最後の悪あがきの危険性は捨てきれない。
中国の脅威は決して侮れるものではなく、反日に凝り固まった民族性から、勝算さえあればいずれは日本への直接介入をしてくるだろう。
それへの備えは、絶対に必要不可避だ。

自衛隊も、60年安保も、成立した時には憲法違反との誹りを受けたが、時の経過と共にそのような非難は消滅した。
憲法が我々を守っているのではなく、具体的な施策が災厄の抑止力になっているからだ。
個人的見解だが、今回の安保関連法案もまた、近い将来にその価値が見直されるだろうと思っている。