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安保法案に反対した人たちへ

すったもんだの挙句、昨日未明に、安保法案が参議院を通過した。
これは大きな節目で、とにかく日本は新たな安全保障体制を迎える。
反対派が声を大にしていた「戦争法案」だったのか、徴兵制への糸口になるのか、あるいは賛成派が唱えていた、「日本を守り、戦争を未然に防ぐ抑止力」となるのか、いずれが正しかったのかの検証作業が必要となってくる。
 
この法案が成立していく過程で、反対派のデモ隊が大きく取り上げられていた。
特に学生を中心としたSEALDsは、新しい民主主義の在り方とまで褒めるマスコミや知識人もいた。
もとより学生は、正義心に富み、時の権力に立ち向かう役割を果たしてきた。
これは日本だけでなく、実は共産党一党独裁の中国でも一緒だった。
その例として、中国では今に至るも国家への反逆を企てた反革命とみなされる、天安門事件がある。
この時の学生やデモ隊は、まさに自分の命を懸けて戦車に立ち向かったが、幾多の犠牲者が出たし、その後は大弾圧され、国外逃亡している学生も多い。
しかし日本では、表現の自由が認められ、時の総理大臣をバカ呼ばわりしても、却って褒めちぎられる。
覚悟の度合いで言えば、デモをするだけで逮捕、拘留される中国に比べ、表現の自由が認められている日本では、大きな違いがある。
 
そのSEALDsのリーダーが集会の最後に、「選挙に行こう」と呼びかけていた。
その通りで、むしろ安保法案に反対していた人たちにとって、今からの運動こそが正念場だ。
今回の反対運動を、民意の現れと激賞し、後押しするマスコミも多いが、過去の反対運動を知る僕から見れば、大した盛り上がりには見えなかった。
60年安保では、今回以上の大デモ隊が国会議事堂を十重二十重と取り囲み、デモ隊の中に死者が出るほどの激しさだった。
革命前夜の感すらあったと言われるほどに、反対運動が盛り上がった。
しかし日米安保法案が成立した途端、まさに潮が引くように、反対運動は衰えていった。
70年安保の時だって、今回よりも激しいデモや反対運動があった。
それから45年が経過した。
今や「日米安保条約は戦争法案だ」などと、戯言を言う人はいない。
だから反対派にとっては、安保関連法案が成立した後の、今からの運動こそが重要だろう。
その意味で、SEALDsの訴えが、「法案反対」から「選挙に行こう」に変わったのは現実的だ。
 
尤も、そんな冷静さがあるのなら、何で今まであんな空虚な反対文言を並べたのだろうと思う。
SEALDsのデモ隊も、国会で体を張った反対行動を繰り返してきた野党も、所詮は為にする反対論でしかなかった。
「戦争法案反対」か「戦争をさせない」とか、「子供の戦場に行かせたくない」とか、情に訴える戦術では、賛成派への反論にはなっていない。
誰も今回、憲法改正など言ってもいないのに、「憲法を守れ」と主張するに至っては、被害者意識に駆られていたとしか思えない。
反対派は、何故安保関連法案が不要なのかを理路整然と説くべきだったのを、「憲法を守れば世界から認められる」などと言い出す始末で、平和ボケした能天気集団と指摘されても仕方がない。
しかも戦争に反対しているはずの野党がとった採決阻止行動は、どこをどう見ても暴力的手段としか思えない。
自分たちの暴力は正しく、国家を防衛する手段は全て悪だというのは、余りにも身勝手だ。
 
但し、日本は民主主義国家だ。
反対派の意見が多数を占めれば、法案は否決できる。
正確に言えば、デモ隊の数や世論調査の数値ではない。
国会議員の数だ。
それが多数になるような運動を継続することが、安保関連法案を廃案にできる唯一の具体的な方策だ。
しかし民主党を中心とした国会の野党連中は、果たしてそのような地道な運動を継続できるのだろうか?
また新たな民意と持ち上げられたSEALDsは、デモ隊のエネルギーを選挙での投票へと集約することができるのだろうか?
僕は両方共に懐疑的で、高みの見物を決め込むが、いずれにしても審判は選挙で決定される。