ハロウィーンの大騒ぎが終わった。
この行事は、いつの間にかすっかり日本に定着し、10月の中旬からは、ハロウィーンムードを盛り上げるようなテレビ番組が目立った。
しかし当然ながら、日本人の中には、「ハロウィーンなんて何サ!」と斜に構える人も多い。
そもそも、ハロウィーンなんて、日本には全く無関係なはずだ。
それなのに、町中、大袈裟に言えば国中で、似合いもしない仮装し、意味も知らずに「トリック オア トリート」と叫び、行列する。
何と軽薄な!
と、反対派は眉を顰める。
ハロウィーンで騒いでいる連中は、そんな意味合いだの背景だの、七面倒くさいことはどうでもいい。
ただただ、皆で集まり、楽しい時間を過ごすことができれば、それで満足。
カネと時間を費やして、この日の為にと考え抜いた仮装をして、目立ちさえすれば、それでハッピーなのだ。
僕は従来は、間違いなく前者だった。
そもそも、新参のハロウィーンだけでない。
クリスマスもバレンタインディも、いずれもキリスト教徒でもない日本人が、ここぞと群れて騒ぐのには、ずっと違和感を持っていた。
しかしここにきて、考えが変わってきた。
即ち、日本人がキリスト教文化を、無批判、無条件に受け入れるのは、それだけ宗教に関しての許容範囲が広いのではと思い始めたのだ。
日本人の大半は、無意識だが神道に強く影響されている。
日本人は、あらゆるモノに、神様の存在を信じる。
極端なのは、「競馬の神様、大川慶次郎」がいたし、巷には「パチンコの神様」「麻雀の神様」まで存在する。
こんな宗教観を世界中の人が持てば、神様を巡る争い事は激減するに違いない。
日本では、信徒が権力に立ち向かった例はあるが、宗教間の争いはほとんどない。
ハロウィーンで大騒ぎをした後、散らかったゴミ拾いをする連中がニュースになっていた。
ハロウィーン狂騒曲も、まもなく始まるクリスマス乱痴気騒ぎも、そう思ってみると、腹が立たなくなる。