昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

嫌われ役を演じる人

長い営業業務の中で、極めてユニークな顧客を、長期に亘って担当したことがある。
この会社社長は、小学校しか出ていない将に立志伝中の人で、様々な経営ブックにも登場する有名人だった。
天才経営者なのだろう、どの社員も夜討ち朝駆けで働き、役員に至っては、午前7時には仕事を開始し、夜は仕事が終わるまでは帰らないし、無論、土日の休日もない。
しかし誰一人、そんな労働環境に文句一つ言わず、「オヤジの為に」と頑張る猛烈社員の集合体だった。
 
そんな会社だから、社員は良く言えば個性的、悪く見れば、我が儘な担当者ばかりで、とっつきにくいことこの上ない。
中でもH氏は、どの納入業者からも蛇蝎のように嫌われていた人だった。
この人は、この会社で初めての大学卒の社員だった。
普通なら、エリートコースまっしぐらのはずなのに、社長のキャリアの所為か、逆に学卒だからと苛めにあったようだ。
その鬱憤が、我々に向かう。
顔を合わせた途端、「君の会社との取引をゼロにするのが僕の使命だ」と言うのが口癖だった。
また商談中も、皮肉しか言わない。
たまたま彼に捕まった納入業者は、ネチネチと苛められる羽目に陥る。
そんな人だったので、誰もが敬遠してしまう。
 
僕がこの人と初めて会ったのは、30歳の時だった。
我が社でも誰も彼には近づきたがらないので、どうしても当時若手に属していた僕にお鉢が回ってくる。
荷が重かったが、仕事だから仕方がない。
しかし皮肉に耐えながら商談を繰り返すうちに、本来の彼は寂しがり屋で話好きのオジサンなのではないかと思い始めた。
彼自身がシャイな性格に加え、会社での疎外感から、わざと露悪的に振る舞っていることが分かってきたのだ。
むしろ「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」で、どんなに皮肉を言われても、更に「何とか相談に乗ってほしい」と頼み込むと、意外にも色々な知恵を教えてくれる。
そんなことを繰り返しているうちに、だんだんと親しくなっていった。
 
ある時、この有名社長を我が社に招待することになった。
こちら側は、社長以下担当役員勢揃いで、正門に整列してお迎えするほどの力の入れ方だ。
この直前、H氏から「ウチの社長が君のところを訪問する件で話があるから、今から来い」と電話があった。
押っ取り刀で駆けつけると、「どんな段取りを考えているか教えろ」ときた。
「斯く斯く然々」と説明すると、彼は「それじゃダメ」と即断する。
「ウチの社長はハナシ好きだから、たっぷりとその為の時間をとること。更に聴衆は座席いっぱいだけでなく、必ず立ち見の人間も用意して、大勢の人が聞いている場面を作れ」と、極めて具体的に教えてくれた。
そんなことは思いもしていなかったので、帰社後直ちに、単なる儀礼的訪問ではなく社長の講演会に予定を変更し、大勢の社員を動員することにした。
 
結果は大成功だった。
この社長は講演会で諄々と自分の苦労話を披歴し、その後の懇親会で我が社の社員たちから質問攻めにあい、両社社長が力強い握手をし、大いに盛り上がってお開きとなった。
実はその陰の大功労者が、嫌われ者のH氏だったことは、ほとんどの人が知らない。
翌日、彼にお礼の電話をした。
彼は「僕は分かるヤツにしか教えないんだ、君は数少ない僕の眼鏡に適ったヤツだ」と褒めてくれた。
 
このH氏は、まもなく定年でこの会社を去り、精密機械の会社にスカウトされた。
暫く経って、彼から電話があった。
「前の会社では君に世話になった。今度の会社でも君とは付き合いたい」と言って、注文をよこしてくれた。
彼は「前に比べると、量は少ないから申し訳ないが」と照れていたが、確かに注文量は激減していた。
しかし彼の気持ちがうれしい。
「ありがとうございます」と、僕は受話器を持ったまま最敬礼した。
 
リタイアした今でも、彼のことを思い出す。
嫌われ役は仮の姿、本当の彼は親切な世話好きオジサンだった。
そんなことが分かって、その後の営業人生の大きな財産になった。