昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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十年は一昔

十年一昔とは、世の中は移り変わりが激しく、十年も経つともう昔のこととなってしまうことを意味する。
井上陽水は「夏祭り」の中で、「十年は一昔、暑い夏」と歌ったが、こちらは四文字熟語の意味ではなく、単なる語呂合わせのようだ。
その証拠に、次に「お祭りは二昔、蝉の声」と続く。
 
僕にとってこの十年は、やはり大きな変化の中にあった。
その最大は、四十年以上勤めた会社を辞めたことだ。
辞めた後に振り替えると、如何に自分が会社人間だったかが分かる。
働いている時は、仕事の悩みが絶えず、その解決のためには時間がないとボヤいていた。
それが今では、悩みがなくなり、時間だけはふんだんにある。
皮肉なモノだ。
 
2006年1月28日、ちょうど十年前の今日、このブログを始めた。
当時は、ホームページを作成する人が増え、ブログもはやり始めていた時期だった。
何をどうすればいいのかも分からないIT音痴だったが、取り敢えずは一番馴染みがあったYAHOOブログで「初めてブログに参加しました」の記事をアップした。
無論、十年も続くとは思っていなかった。
仕事で感じたことや政治への不満、スポーツへの感想などをダラダラと書き続けているうちに、自分の思いを文章にすると、頭の中が整理されることに気が付いた。
 
特に仕事が営業だったので、他人に働きかけ、他人に行動してもらうことが必要だった。
利害関係が異なっている人に、こちらの立場を理解して貰う為には、話に説得力を持たさないといけない。
少なくとも、相手から信頼されない限り、こちらの思いを達成することが出来ない。
その為には、矛盾したことは言ってはいけないし、論理的に話さないといけない。
 
営業の仕事で、政治や宗教の話をこちらから持ち出すのは危険だ。
しかし相手からの話には、相槌を打つなり反論するなり、何らかの反応をしなければならない。
そんな時にも、いい加減なことや首尾一貫性のない話は、信用を失う。
仕事への準備のためにも、文章を認めることのメリットは大きい。
幾分打算的だが、そんなこともブログを続けるモチベーションになった。
 
匿名で記事を書くことも大きかった。
十年も続けてきたので、途中で一度、得意先から「これは君が書いたブログかね?」と聞かれたことがある。
文章は面白おかしく書かれているが、得意先を好意的に取り扱っていたので、それ以上の詰問はなく、いつの間にか話題にも上がらなくなった。
しかしいつもこんな風に収まる保証はないので、僕の周囲に対しては、決して自分のブログの存在を明かさなかった。
 
適当に好き勝手なことを書いてはいるが、それでも内容については全面的に責任を持っている積りだ。
特にマスコミと持ちつ持たれつの有名人については、実名を挙げても、その欺瞞性を追求した。
こちらが身分を隠しているのに、相手を攻撃するのは不公平だが、彼らにとっては悪口もまた褒め言葉。
話題がないよりも、あった方が注目を浴び、それがまた彼らの人気へとつながる。
彼ら有名人の世界は、そんな神経の図太さがないと務まらない商売だ。
そう開き直って、悪口を書きまくった。
 
しかし仕事がなくなった途端、そんな刺激的な社会ともおさらばになった。
今では、暇な一日は、高齢になっているウォーキングが終わった時点で、ほとんどやることがなくなってしまう。
こうして人生が黄昏るにつれ、だんだん体力が衰えて、いつの日か終末を迎えるのだろう。
それはそんなに遠い将来ではない。
この十年で、確実にそんな無常観が強くなっている。
やはり十年は一昔だ。