昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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最愛の姉が他界した

3月1日早朝、銘から電話がかかってきた。
その口調から、予てより病気療養中の姉が他界したことを直感した。
 
ちょうど一年半前、姉は突然言葉を失った。
病院で調べたところ、左耳近くに5cm大の脳腫瘍があるとのこと。
完治は難しいとも言われたが、とにもかくにも姉の意思で手術に踏み切った。
しかし無情にもその時点で告げられたのが、「手術は成功したが、この病気の平均余命は一年四か月」だった。
それから一年五か月後、ほぼ医者の宣告通りに、姉は他界した。
 
母が同じ病気で他界して、三十六年。
この間、姉は我々兄弟のとっては母親代わりだった。
可能な限り時間を作って見舞いに赴いたが、その度に段々と弱っていく姉の様を直視することになった。
それでも姉は、他人への思いやりと毅然とした姿勢を崩すことはなかった。
また多くの姉の教え子たちが見舞いに押しかけてきたので、それまで全く知らなかった多くの姉の昔の逸話を聞くことが出来た。
 
姉はたいそう成績が優秀だったらしいが、当時の我が家が貧乏だったので、四年生大学への進学をあきらめ、教育者への道へと進んだらしい。
しかしそれが、彼女の天職となったようだ。
爾来六十年を越しても教え子たち慕われ、病気に倒れた後は、多くの教え子たちが献身的に姉とその家族をバックアップしてくれた。
本当にありがたいことだ。
 
昨年12月23日、姪の発案で、家族で療養中の姉を囲んでクリスマス会を開いた。
姉にとって一人娘になる姪は、「大好きな母とその兄弟が集う最後の催し物」の積りだったらしい。
兄弟で歌ったり、僕の妻が昔取った杵柄のピアノ演奏、兄嫁は練習中のフラダンスを披露した。
ほとんど寝たきりだった姉は、椅子に座りながら、心から楽しそうに聞いていた。
その時に気が付いたが、姉は他人の歌や話を聞く時、スッと背筋を伸ばす。
姉の性格なのか、長年教師の職に携わった職業柄なのかは分からないが、実に凛とした姿だった。
僕はその姿をしっかり録画して、姪に送っておいた。
 
運命のいたずらか、両親共に同じ脳腫瘍だったので、ショックも大きい。
しかし姉の場合、この一年半の間で、姉との別れの為の心の準備ができていた。
その為に、通夜も葬儀も火葬場でも、家族も親戚一同も、泣き崩れるようなことはなかった。
むしろこんなに明るい葬儀は、経験したこともないくらいだ。
 
姉は、ほとんど無趣味の人だった。
自分のことなど後回しで、人生のほとんどを他人の為に過ごした。
姪や孫たち、我々兄弟や多くの教え子たちが、その恩恵に預かった。
だからこそ、全員が姉に対して感謝の思いを持って、葬儀の場に集まってきたのだろう。
これもまた姉の人柄だ。
 
出棺の前に、家族が故人への送る言葉を書いて、棺桶に入れることになった。
僕は万感の思いを込めて、「今までいろいろとありがとうネ」と書いた。
我々兄弟の最大の理解者だった姉に対して、感謝の言葉以外は思いつかなった。