昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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松方弘樹と脳腫瘍

つい先日、姉が脳腫瘍で他界したので、松方弘樹の病気も他人事とは思えない。
松方弘樹に関してはニュースでしか知らないが、病名は「脳リンパ腫」で、結構深刻なようだ。
手術はせずに、投薬治療での回復を目指すと言う。
 
姉に関して言えば、脳腫瘍が見つかった時点で時、既に遅し!
手術をしても完治は困難で、あとは投薬で病気の進行を抑える事だけが、唯一の治療方法と言われた。
家族は迷ったが、最終的には姉が自分の意思で、手術することを決めた。
退院後は介護施設ではなく、自宅で一人娘の姪とその家族が献身的に看護した。
その闘病生活は、術後一年五か月でピリオドとなったが、これは医師の最初の観立て通りでしかなかった。
 
松方弘樹の場合が、これと一緒かどうかは分からない。
しかし伝わってくる情報では、手術ができないほど、かなり重篤な症状と思われる。
 
僕は両親と姉を、脳腫瘍で失っている。
厳密に言えば、父親は良性脳腫瘍だったが、生来の喘息持ちで、手術に耐える体力がなかった。
母親と姉は、悪性脳腫瘍の為に手術しても無駄だったが、それでも一縷の望みを託した。
近親者が三人も同じ病に倒れると、それなりに知識が増えてしまう。
いずれにしても脳腫瘍は、現代医学を以ってしても、なかなかに厄介な病気であることは間違いない。
 
もっと早く脳腫瘍と分からなかったのかと、後悔したこともある。
兄の話では、母親は予てから頭痛持ちだったらしい。
しかし昔のことなので、頭痛薬(「ノーシン」)を飲めば治ると思い込んでいたようだ。
思い起こせば姉は、倒れる直前に「左耳が痛い」と訴えていたらしい。
腫瘍の場所が将に左耳の後部だったので、最後の最後で脳が癌腫瘍に負けた結果、痛みが発生したのだろう。
しかしこの程度の症状で、脳腫瘍を患っているのではと危惧するのは難しい。
あの元気溌剌だった松方弘樹も、自分が悪性脳腫瘍を患っているとは、夢にも思っていなかっただろう。
 
実は姉は、発病の半年前に、脳の検査を受けていた。
その時のCTスキャンの結果は良好で、姉は「大丈夫だった」と喜んでいたのに、わずか半年後に死を宣告された。
悪性腫瘍の場合は、結局は分かった時は手遅れの感が強い。
 
ただ脳腫瘍の場台、患者が余り苦痛を訴えないのが、唯一の救いだった。
姉は闘病中に一度も、死について言及したことがなかった。
言葉を失ったフラストレーションは強かったが、「死ぬかもしれない」と弱気になったことはなく、「死にたい」と自暴自棄になったこともない。
これはきっと、痛さや苦痛を感じることが少なかったからだろう。
そう言えば母親もまた、病気になった原因を知りたがってはいたが、死ぬ直前まで、いずれは完治すると信じ込んでいた。
 
一方昨年他界した義母は、医者でさえ驚くほど、将に百歳を迎えんとする死の直前まで、頭脳は極めて明晰だった。
しかし反面、骨が脆くなったために、しばしば骨折に見舞われた。
この痛さは、年寄りには厳しいらしい。
頭が正常な分、痛さを感じるのも常人と一緒だし、年寄りになった分、忍耐力は衰える。
「こんなに痛いのなら、死んだ方がマシ」と駄々をこね、家族を困らせることが度々だった。
 
死ぬことは、誰でも嫌だ。
しかし死ぬことは、誰でも絶対に不可避だ。
いずれは死ななければならないのなら、その時は苦しみたくない。
僕の場合は、血統書付きの脳腫瘍患者予備軍だ。
死因が脳腫瘍の可能性が、かなりの確率で考えられる。
しかし両親、姉共に、痛みを訴えることがなかったので、「それもまた運命かな」と考え始めている。