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桃田賢人は重罪人なのか?

リオ・オリンピックのメダル有力候補だった、バドミントンの桃田賢人が出場できなくなった。
闇賭博に出入りしていたことが判明、無期限出場停止処分を食らったからだ。
2020年の東京オリンピックには出場の道が残されているらしいが、今後は試合出場が儘ならないとなると、世界の強豪を相手にした技術レベル向上が出来なくなる。
無論、現在の世界ランク二位を維持することは不可能だし、仮に付け焼刃で東京オリンピック間に合ったとしても、好成績を上げるのは厳しい。
オリンピックでメダルを期待できるスポーツは、日本ではさほど多いわけではない。
バドミントンは、その数少ない種目の一つなので、今回の事件は実に勿体ない。
 
今回の闇賭博問題は、桃田賢人と言う日本のトップアスリートが関連したので、大事件になった。
しかし冷静に考えてみると、この手の話は巷には溢れかえっている。
確かに、桃田賢人が通っていた賭場は、非合法だった。
だから極めて印象が悪いが、では競馬、競艇オートレースだったら、同じギャンブル中毒であっても問題にはならないのだろうか。
バカラ賭博も競輪競馬も、博打であることには間違いない。
違いは、胴元が公然組織か、非公然組織かだ。
 
僕自身、若かりし頃に雀荘で徹夜マージャンをやっていて、警察の手入れに出会ったことがある。
その時は、雀荘行政処分を受けたが、客は深夜の寒空に追い出されただけで、処罰は何一つなかった。
今回の桃田賢人も、桃田を闇賭博に誘った田児賢一も、刑事罰を受ける様子はない。
あくまで日本バドミントン協会が、選手の不祥事に対して、自主的に処分を下したものだ。
その背景には、選手には強化費として税金を投入していることへのお詫びとか、青少年の模範となるべき存在なのに裏切ったとかの、懺悔の思いだろう。
 
教育評論家の尾木直樹は、「勝負師なので、勝負ごとに興味があった」と話した桃田賢人を、「バドミントンの競技とギャンブルを同列に扱うとは、賞金稼ぎ感覚」と辛辣に非難した。
教育評論家としては如何にも在りがちの意見だが、しかし程度の差はあれ、賭け事に興じたことがある人は結構多いはずだ。
カネを賭けない麻雀は面白くないし、ゴルフにだって様々な賭けを考え出す。
賭け事には人を引き付ける魅力があるし、人は飽きることなくギャンブルに興じる。
 
尾木直樹が言う、「スポーツマンシップ精神」とは、いったい何のことだろう。
スポーツに長けた人間は心も清らかと言うのは、単なる幻想でしかない。
むしろ一芸に秀でると、世間一般の規範にはそぐわない例の方が圧倒的に多い。
今回の桃田賢人を見ると、自分の才能がカネになると確信していたと思われる。
少なくとも、桃田賢人にとって世に出るための一番手っ取り早い手段が、バドミントンを極めることだったはずだ。、
彼はだからこそ、辛い練習に耐え、ひたすら技術の向上を目指した。
将に賞金稼ぎであって、そこは美談でも、爽やかでもない、成り上がり志向丸出しの根性物語があるだけだ。
 
勝手に模範的アスリートと祭り上げ、ちょっと道を踏み外した途端、全てを奪い去るような制裁を与える。
元をただせば、競技者を玩具にして楽しんでいるのは、我々一般大衆だ。
尾木直樹が、「ファン、国民をバカにしている」と怒っているのを見ると、桃田賢人は、そんな我々に持ち上げられ捨てられた、哀れなバドミントン選手のような気がする。
しかし勝負師は、ある意味で専門馬鹿であり、ある部分の能力を特化して鍛えるから、人が驚くような業績を上げることが出来る。
決して、いわゆる「イイ人」ではないし、そんな人は、いつまでたっても世界に通用することはない。
 
桃田賢人は、勝負師としてギャンブルに興味があったのなら、闇賭博ではなく公営ギャンブルに熱中すればよかった。
それなら、褒められはしないだろうが、今回のような轟々たる非難を浴びることはなかった。
更には、今回の問題で一番情けないのは、桃田賢人も田児賢一も、ギャンブルに負けていることだ。
勝負師たるもの、いかなる勝負にも負けてはいけない。
ギャンブルに熱中したからと言って、桃田賢人を責める積りはない。
が、自らを勝負師と称した桃田賢人ならば、闇賭博に出入りしたことと、結果はそこで負けていたことは猛省して欲しいと思っている。
 
いずれにしても僕は、桃田賢人を厳しく論う尾木直樹よりも、「桃田賢人は重罪人ですか?」と問い直した張本勲に強く賛同する。