僕も含めて、大半の人間は二流かそれ以下なので、一流の人物は仰ぎ見る存在だからだ。
そんな一流の人物は、多くの分野でプロとして生計を立てている。
だから多くの二流、もしくはそれ以下の人間は、彼らの才能と妙技を尊敬と羨望の眼差しで見る。
ところが我々が尊敬してやまない一流の中でも、更に差がある人物たちがいることに気が付く。
傑出した技術を持つプロの中でも、更に飛び抜けた連中が、ごくわずかに存在している。
それが超一流と一流との差だ。
何が違うのか、この差は一体何なのか、僕のような素人に分かるはずがない。
しかし超一流の人物は、数が少ないので大変目立ちやすい。
素人とプロの技術差が一番大きいと言われるのは、相撲と将棋と言われる。
この両部門では、アマチュアがプロに勝つなんてありえないらしい。
ところがこの両競技では、プロ同士の闘いでもいつも勝つ連中が固定されていて、番狂わせが発生する確率が低い。
例えば相撲で観れば、十両だって凄いのだが、更にその上の幕内力士は数十人しかいない。
日本人が一億人いても、ここまで辿り着く確率は天文学的に低い。
最近は弱いクンロク大関が問題視されているが、横綱は12勝してその役割を果たしたと言われる。
もう一つの将棋の世界も、けたたましいほどに厳しい。
プロの将棋指しは百人程度の超狭き門だが、タイトルを取ることが出来るのは数人しかいないし、顔ぶれもほとんど一緒だ。
ところが神童、藤井聡太の出現で少々様子が違ってきた。
世間的には中学生なので、将棋界では洟垂れ小僧レベルのはずなのに、デビュー以来負け知らず。
29連勝の快進撃を見せ、新記録を達成した。
まだ超一流のタイトルホルダーとは対戦していないが、それでもこの記録は凄い。
超一流中学生棋士の誕生で、俄かに将棋ブームが沸き上がっているようだが、こんな天才は百年に一度も出現しない。
そんな稀有な確率が、自分や自分の周辺に起きるなどとは思わないことだ。
最近、ボクシングのテレビ中継を熱心に見ている。
嬉しいことに、日本人世界チャンピオンも多くいる。
やはり我がヤマト民族が、世界に通用するのを目の当たりにするのは心躍るものがある。
しかし、喜んでばかりはいられない。
チャンピオンが増えると、中には「これは短命に終わる」と思わせるボクサーもいる。
それでも世界チャンピオンになるくらいだから、ずば抜けた才能の持ち主なのは間違いない。
しかし実際に観ていると、日本人世界チャンピオンと言っても、山中慎介のような超一流と、一流チャンピオンの間に決定的な差があることは、素人目にも一目瞭然だ。
その差は、なのか?
例えば、パンチ力の差。
例えば、ど根性の差。
例えば、動体視力も含めた運動神経の差。
理屈を言えば、様々な指摘があるだろうが、そんな素人でも分かるような能力差ではなく、超一流の才能の持ち主は、まさしく神に選ばれた、あるいは神に拠って作り上げられた超エリートなのではないか。
ほとんどの二流の人間は、一流を目指して努力することはない。
少々努力したくらいでは彼らの域には到達しないことが分かっているから、とっくに諦めているからだ。
ただ一流の人間は、悉く超一流を目指して、それこそ血の滲むような努力を繰り返す。
しかしそこまで必死に努力しても、超一流になれるのは並の天才たちのほんの上澄みだけ。
全く持って、割が合わない。
そんな苦労をしなくて済む凡人は、実はとても恵まれている。