彼の投稿内容ば
「昭和の大ヒット商品、バカチョンカメラは決してVacation Cameraではあり得ず、やはりバカでもチョンでも…….」
「チョンとは半人前の言う意味や、取るに足らない人と言う意味の他に、朝鮮人と言う意味があります」と、チョンを差別用語と捉えていた。
彼も最終的には
「バカチョンカメラは、バカでもチョンと押しさえすればちゃんと撮れるカメラ」だったと分かって」一件落着。
しかし、では「チョン」は差別用語なのかの問題は未解決のままだ。
早速様々なコメントが入っていたが、
「チョンは昔から日本では使われてきた言葉で、決して朝鮮人を揶揄するものではなかった」
が大半の意見だった。
中でも本来の「チョン」は句読点の「、」や「・」を表すもので、江戸時代の武士のちょん髷は、「、」に形が似ているからそう呼ばれたとの説は、大変説得力があった。
江戸時代の日本は鎖国状態だったので、朝鮮とは国交すらないのだから、当時の人間に朝鮮人への差別意識などあるはずがない。
「チョン」は、そんな時代から日本で使われてきた単語で、断じて差別用語ではない。
僕は、
「朝鮮人がチョンを差別用語と思ったのは、昭和の一時期に日本人が朝鮮人をチョ×公みたいなモロ差別用語で呼んだことが原因では」と、やはり我々日本人側に責任があると書いた。
日本人は些か夜郎自大で、外国人への侮蔑用語を多用していた時期がある。
アメリカ人に対して、「アメ公」、イタリア人に、「イタ公」、そして朝鮮人を「チョ×公」。
その昔、巨人の若手だった中畑清が、監督だった王貞治を「ワン公」と呼んだのと全く同じニュワンスだ。
あの時は、長嶋派の中畑が王監督に批判的な選手が集まった会合で発した言葉らしいが、相手を見下した表現なので、自分のペットを呼ぶ以外は使用禁止だろう。
何故朝鮮人が「朝(チョウ)」でなく「チョン」になったのかは不明だが、本来は差別とは無関係なはずの「チョン」が、現在は差別を思われるのは、この時代の印象を引きずっているとしか思えない。
そして、「チョン」は本来差別用語でも何でもないが、今や朝鮮人の多くが差別用語と勘違いしているし、歴史的事実を説明しても分かる相手ではないので、使用しない方が良いですとアドバイスした。
ところがこの中で使用したチョ×公が差別用語と認定され、削除されたらしい。
僕は決して公明正大なオトコではないし、朝鮮人や中国人には好意を持ってはいないが、それでも謂れにない差別は反対している。
今回も、チョンが差別用語ではないが、相手が不愉快に思う言葉は使わない方が良いと言いたかっただけなのだが、それを説明するにはチョ×公を使わざるを得ない。
それなのに、差別用語を使ったと言って、その意見を削除していたら、差別について意見を戦わすことすらできなくなる。
差別は悪いと誰もが知っているが、多くの人がまるで無自覚に差別行為を行っている。
例えばテレビドラマを見れば、たいていの主人公は美男美女であり、悪役は貧相で、如何にもワルの俳優がキャスティングされる。
これは美形は良い人で、ブサイクはダメとの差別感がある。
成績が良かったり、運動神経に優れた人も人気があるのも、そうでない人への差別でもある。
差別は、個人にとっては優越感や防衛意識の確認でもあり、いくら奇麗ごとで表面面を繕っても決してなくなるものではない。
ことほど左様に、差別は心の問題なので、一朝一夕では改善されない。
また民族、宗教をまたがる差別は、実質的に解決することは困難と思った方が正しい。
だから事あるごとに差別用語を騒ぎ立てるのはむしろ逆効果であり、Face-to-Faceで注意し、長丁場で一件ずつ、一人ずつ差別解消を目指す方が、実は効果的なのではないかと思う。