昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

森友学園劇場の主役、籠池夫妻逮捕

7月31日、年初以来世間を騒がせ続けた籠池夫妻が、とうとう逮捕されてしまった。

森友劇場の主役、籠池夫婦の特異なキャラクターに注目し、若干だけど同情的だった僕は、籠池夫婦に対して一抹の憐憫の情を覚えている。

 

森友問題がマスコミに取り上げられたのは、超タカ派教育者の籠池泰典、籠池詢子夫婦が、年端もいかない子供たちに教育勅語斉唱や、安倍首相応援を強要しているとの民進党市議の批判が発端だった。

当初の籠池夫婦は、野党からの追及に対して毅然として、教育方針の正しさを力説していた。

ところが、安倍明恵夫人とは頻繁に会っていても、肝心の安倍首相とは距離があったようだ。

その為か、森友問題が姦しくなるに従い、安倍首相からはむしろ邪険な扱いを受け始めてしまった。

学園運営の資金繰りが悪化してきた籠池夫婦が、生き残るために選択した道は、仇敵の小説家、菅野完と、森友問題追及の急先鋒だった野党四党との連携だった。

将に、「敵の敵は味方」を地で行った、発想と戦術の転換だ。

 

ただこの新コンビは、その両方ともに誤算があった。

菅野完と野党四党の誤算は、籠池夫婦が提出した安倍夫婦との関係を示す証拠が全くプアだったこと。

そのいずれもが、決定的な具体性に乏しく、結局は印象操作で安倍首相を追い込む代物でしかなかった。

一方の籠池夫婦にとっての思惑外れは、自分達の存在は安倍首相追及の切り札であり、野党は必ず庇い救ってくれると思い込んだことだ。

結果的には、利用価値がなくなった籠池夫婦への野党の関心も急速に薄らぎ、孤立無援になった籠池夫妻は詐欺罪で逮捕されることになった。

これで教育者としての籠池夫婦が描いていた夢は完全に消え去り、後は刑事被告人としての孤独な闘いだけが残る事態を迎えた。

 

仕事目線でこの問題を見ると、籠池夫婦とその周辺には、中長期ビジョンが皆無だったことが分かる。

籠池夫婦は、人気が高かった安倍首相の名前を利用し、右翼的教育者として成功することを画策した。

先ずは、お人好しであまり思慮が深くない安倍明恵夫人に近づく作戦で、籠池夫婦の教育方針に賛同した夫人を、ある時期幼稚園の名誉校長にまで祭り上げている。

「将を得んとすればまず馬を射よ」の馬を射るまでは成功したが、肝心の将攻略は思うに任せない。

 

それまでも、幾多の詐欺行為、若しくは詐欺まがいのやり方で事態を乗り切ってきた籠池夫婦にとっては、「首相夫婦の名前さえ使えば、その内に何とかなる」と高を括っていたはずだ。

その先には、中学や高校までの一貫校をイメージしていただろうが、余りにも森友学園が全国区の騒ぎになったために、それまでの準備不足が次々と露呈してしまった。

その最たるものが、夫人を通じて安倍首相との関係強化だったはずだが、肝心の安倍首相は籠池夫婦の胡散臭さに気が付き、すっかり腰が引けていた。

それでも籠池夫婦は、最後の最後は安倍首相が自分たちを救ってくれると勝手に思い込み、ひたすら小学校開校に向かって突き進んだが、諸問題が顕在化したために大阪府知事に工事差し止めを食らった。

 

この窮地での方針次第で、その後の運命が決まってしまう。

僕は籠池夫婦が唯一生き残る道は、実は保守派教育者の立場を堅持することだったと確信している。

しかし籠池夫婦は。目先の苦しさから、それ迄の姿勢を180度変更してしまった。

ところが野党にとっての籠池夫婦は、政権追及の手段ではあっても、何が何でも守り通すべき政治的同志でもない。

実際に安倍政権に批判的な文化人は、履いて捨てるほどいる。

化けの皮が剥がれ、詐欺師扱いされる籠池夫婦は、野党にとっては最早利用価値ゼロの粗大ごみでしかないのだ。

今や野党にとっての関心は加計学園問題に移り、森友学園と籠池夫婦への興味は消滅している。

 

籠池夫婦の希少価値は、右翼的、保守的な教育者の仮面だった。

ピンチに陥った時にその仮面を捨て去った籠池夫婦には、今やどこからも助けは来ない。

籠池夫婦にとっては自業自得の結果ではあるが、我々には、短期的な方針変更の場合にも、中長期ビジョンの裏付けが必要なことを教えてくれた事件だ。

籠池夫婦に対して、「タカ派教育者の姿勢を貫け」とアドバイスする人がいなかったのが残念だ。