昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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野党のダブルスタンダードの本質

僕は、決して清廉潔白なオトコではない。

振り返れば、他人様には言えないような、恥ずかしい過去もある。

 

しかし一つだけ、個人的に注意してきたことで、ちょっとばかり自己満足している性格がある。

それは自分なりに、首尾一貫性を求めてきたことだ。

少なくとも、自分が発言したことには責任を持つ。

不幸にして、前言撤回せざるを得ない場合は、必ず状況を説明して謝罪する。

しかし会社員として、また社会人として、この生き様に拘り続けるのは、言うは易しいが、実際は決して楽なことではない。

それでも、やせ我慢してでも筋を通そうとしてきた僕には、以前に言ったことと違うことを、平然と喋ったりやったりする連中は理解できないし、人間として信用できない。

 

例えば、今話題の衆議院解散だ。

野党の民進党共産党は、わずか二か月前は「安倍首相は解散して信を問うべき」と口を極めて主張していた。

しかしそれが現実になると、「解散の大義がない」と言い出した。

更にマスコミや左翼コメンテーターが、このダブルスタンダードをバックアップする。

最近は「首相には勝手な解散権はない」と言い出した。

どうも最初は、テレビ朝日の羽鳥のモーニングショーに、何とか大学の教授を連れてきて、「首相に解散権があるのは世界にわずか四か国」と、憲法違反を言い出したのがきっかけと思われる。

さすがに田崎史郎が「いろんな意見があるだろうけど、今までこれでやってきたのだから」ととりなしていたが、MCの羽鳥や、左翼コメの玉川徹なんかは「我が意を得たり」の感じだった。

 

しかしこの連中は、野党が解散を要求していた時には、決して同じ理屈を展開はしない。

では当時とは、一体何が違っているのか。

それは唯一、安倍政権の支持率だ。

野党が解散だと騒いでいた二か月前は、安倍政権の支持率が急降下していた時だ。

それが内閣改造北朝鮮危機を背景に、最近では急回復し、支持率が不支持率を上回っている。

要は、野党にとって、二か月前は勝てると思っていたのが、今解散されると敗色濃厚。

ならば、解散には絶対反対するのは、全くのダブルスタンダードではないか。

 

山尾志桜里もヒドイ。

甘利明政治資金規正法問題の時は、「秘書の問題は議員の責任」と追及していたのに、自分のガソリンプリカードで同様の問題が起きると、「秘書がやった」と言い訳する。

自民党議員の不倫問題では「説明責任と議員辞職が必要」と舌鋒鋭く迫るが、自分の不倫問題には「男女の関係ではない」と嘘っぱち発言の挙句に雲隠れする。

こんなインチキ政治家なのに、民進党は対抗馬すら立てずに、当選後の復党を目論む。

 

こんな、野党のお家芸ともなっているブーメラン現象は、一体何故発生するのか?

一般論として、「野党だからと、無責任に与党を追及しているから」とか、「他人に厳しく、自分に甘い」体質が指摘されるが、実はもっと根が深い、彼らのイデオロギーに本質的な問題がある。

潜在的に彼らに強い影響を与えている共産主義には、「政敵がやれば悪でも、同じことが自分達は正しいので許される」との、究極のダブルスタンダード思想がある。

革命勢力が、歴史の歯車を逆に回す反革命勢力をせん滅するのは、正しい行いだと自己合理化している、何ともご都合主義の思想だ。

 

この理屈で、アメリカの核兵器は悪だが、ソ連(当時)、中国は正しい核兵器だから許されるとか、北朝鮮核兵器開発を認めるべきのような、とんでもない発言が生まれてくる。

辺野古基地移転問題も、目的が正しければ暴力を行使しての反対運動が許されると暴れまわる。

何せ、自分達は絶対に正しいと信じ込んでいるのだから。何でもやりたい放題になる。

左翼は、その本質がダブルスタンダードそのモノであり、民進党共産党が性懲りもなく同じ失敗を仕出かすのも宜なるかな!なのだ。