昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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介護をする人、介護される人

姉が逝去して、およそ二年が過ぎた。
病気が脳腫瘍で、こちらの言うことは理解しているようだが、自分の意思を言葉にできない。
また段々衰弱していくので、介護する人が必須だった。
娘である姪っ子が仕事を休み献身的に介護した結果、当初の医者の観立て通り、一年四か月後に天寿を全うした。
 
姪っ子は、自分の母の介護状況を、ほぼ毎日メールで知らせてきた。
我々兄弟は、姪っ子のメールで姉が衰弱していく様を把握していたので、最終的に死を迎えた時には、充分に心構えが出来ていた。
その点で姪っ子のメールは、大変役に立ったと思っている。
 
姪っ子は、その一年四か月に亘って母を介護してきた経緯のメールを、出版したいと言い出した。
姪っ子は、同じ脳腫瘍で、生後三年の長女を失っている。
その時に、同じ幼子が病死した経験を持つ親たちの集いで知り合った物書きの先生に薦められて、自費出版で追悼本を出版している。
今回もまた、母親を失った悲しさを本にしてまとめたいらしいのだ。
 
周りは賛同していたが、僕は反対だった。
先ず、自分の親を苦労しながら介護している子供たちは、世の中に五万といる。
決して、僕の姪っこだけの話ではないし、敢て出版するほどのニュースバリューもない。
そして何よりも、題材として扱われる母親、僕からすれば姉が、自分が衰えていく様を公にされることを喜ぶとは思えない。
そんな理由を挙げて、出版を思いとどまるように説得した。
ついでに、出版社が熱心に自費出版を勧めるのは、著者に買取り義務があり、出版社はノーリスクだからだと、出版業界のアコギさも力説しておいたが。
 
僕の中には、俳優の長門裕之が、妻、南田洋子認知症を患った時に出版した本や、テレビで献身的に介護している姿が放送された事への嫌悪感があった。
確かに、介護する側の努力や苦労をアピールすることはできる。
多くの場合、大変な犠牲を払って介護している人たちへは称賛が集まる。
しかしその姿が清々しく鮮やかに見えるほど、実は介護される人のプライバシーは白日の下に晒される。
 
つい昨日も、61歳で認知症を発症した妻を介護する夫の献身的な姿がテレビで紹介されていた。
認知症なので、妻は夫の言うことが理解できないし、夫の言いつけも守れない。
それに苛立ちながら、妻のために料理を作り、身の回りの世話をする夫は確かに美談だろうが、既に下の自由すら思い通りにならない妻の現状をも曝け出している。
 
介護するのは大変だろう。
またいつ何時、そんな悲劇が自分の身に降りかかるかもしれない。
その時に、僕が介護する側なのか、あるいは介護される側なのかも分からない。
しかしいずれの場合でも、それを美談として取り上げるのは不適切だと思う。
 
親子、夫婦、いずれにしても、自分にとっては世界で最も深い人間関係だ。
だからそんな状況になった時には、介護は自分の使命で、そこで果たす自分の役割は運命だと思う。
他人様からの称賛や評価など、全く不要だ。