昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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大相撲の将来性

大相撲は、衰退産業の典型だ。
何よりも年六場所の優勝賞金がわずかに1千万円では、若者にとって全く魅力がない。
年間30試合近くあるゴルフの場合、優勝賞金は最低でも2千万円はある。
プロ野球選手の年収は、一流どころでは1億円を下ることはない。
しかし大相撲の場合は、年収1億円を超える相撲取りは白鵬しかいない。
もちろん「ごっつあん」ご祝儀はあるが、それも有力なタニマチが付いた場合に限られる。

そんな薄給にしては、稽古はきついし、上下関係はうるさいし、妙なしきたりが多い。
しかもファッションはと言えば、全く時代錯誤のちょん髷にマワシで、ストリッパー並みに裸を露出し、極限に体力を使って勝負する。
それほど苛酷な闘いを繰り返すので、選手寿命は短い。
では老後となると、首尾よく親方株を入手できればいいが、その定数はわずかに105。
需給バランスから1億円以上の資金が必要となると、いくら頑張っても個人の稼ぎでは入手不可能。
こちらもまたタニマチ次第なので、力士として現役の時から、セッセとオトコ芸者役をこなさなければならない。
こんな職業が、若者に魅力的なわけがない。
いくら大相撲は日本の国技と力み返っても、日本人の力士志望者は減少の一途だ。
実際の大相撲は、ハングリー精神に溢れたモンゴリアンとか、ヨーロッパからの出稼ぎ外国人の参画によって、息を永らえているに過ぎない。

ここに来て、日馬富士の暴行事件に対する、貴乃花親方の態度が話題になっている。
日本相撲協会を徹底的に敵視する、貴乃花親方については賛否両論。
日馬富士の教育的指導の行き過ぎなのか、あるいは貴乃花親方がマッチポンプ相撲協会とモンゴル力士会を悪者に仕立て上げているのか、事の真相は被害者貴ノ岩の証言を聞くまでは、誰にも分らない。
それは鳥取警察と日本相撲協会の調査で判明するだろうが、僕には一点、どうにも分からないことがある。

それは貴乃花親方が唱える「相撲道」の中身であり、日本相撲協会の改革案の内容だ。

世間では、貴ノ花親方が現役時代はガチンコ力士だったことと、相撲協会を改革したがっていると思っている。
即ちガチンコこそが日本古来の相撲道であり、協会の現勢力を一掃しなければ、その改革は実現しないとの主張だ。
僕はこの考えには与しない。
むしろ八百長や共存共栄こそが、本来の相撲道ではないかと思っているからだ。
貴ノ花親方は、土俵以外で酒を飲んだり仲良くすることは、力士同士の癒着につながると考えている。
弟子の貴ノ岩にも、「モンゴル会には出席するな」との教育方針だったようだ。
しかし相撲取りは、本場所以外にも巡業と言う重要な仕事がある。
この目的は、大相撲の底辺拡大と言われるが、実は相撲協会にとっても力士にとっても、収入面でも興行面でも絶対に欠くべからざる一大イベントだ。
その巡業には、全力士が参加を義務付けられ、寝食を共にしながら各地を回る。
モンゴル会や出身県別の会合の存在以前に、大相撲の力士たちは相見互いの関係にある。
貴ノ花親方が本当に、力士同士に気心が通わなくしたいのなら、モンゴル会だけでなく、巡業へも不参加を決め込まないといけない。

大相撲は、純然としたスポーツとは言い難く、プロレスにも似た、興行的要素が極めて大きい。
そうすると、年間三百試合近いプロレスほどではないが、いつも真っ向から勝負しているのでは体がもたない。
現に巡業では、ほとんどのケースで横綱よりも地元出身の力士が優勝するようになっている。
これこそ八百長そのものだが、大相撲ではそんなものと割り切ってきた。
もう30年近くも前だが、週刊ポストが大相撲の八百長疑惑を取り上げた。
週刊ポストは、執念のように長らく大相撲の八百長を追及してきたが、日本国民の多くは「だから何?」と関心がなかった。
雑誌「ナンバー」は、大相撲には八百長が当たり前と、開き直りの記事すら載せていた。
八百長が大問題になったのは、相撲賭博のなかで八百長が行われ、多額の金が動き、現役の力士がそれに関連していたことが判明したからであり、八百長そのものが法律に違反していたわけではない。
力士同士の単なる星のやり取りは、分かっていても必要悪として、見て見ぬふりをしてきたのだ。
だから貴乃花親方の改革とは、むしろ日本古来の相撲道ではなく、透明性を高め国際化に備える代物に思えるのだ。

貴ノ花親方は、大相撲の将来性に強い危機感があるらしい。
そんな彼から見れば、八角理事長をはじめとする現日本相撲協会執行部は、だらけきった首脳陣に見えるのだろう。
しかし大相撲を担うべき日本人力士が減る一方では、どんな能書きを並べてもハナシにならない。
結局は、若者がアメリカンドリームに憧れて、世界中からアメリカに渡ったように、ジャパニーズドリームに憧れた外国人を受け入れない限りは、大相撲は生き残れない。
相撲は神事などと大上段に振りかぶるのではなく、先ずは年六場所を四場所に減らし力士の負担を軽減するべきだ。
次に、柔道が青い柔道着を受け入れたように、ちょん髷を廃止し、マワシの下にパンツ着用を許可するような、国際化の道を進むべきではないだろうか。