昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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自分の寿命

僕は勝手に、自分の寿命の最初のヤマ場を、69歳としてきた。
 

僕の母は69歳になってすぐに、そして父はその五年後、79歳で死んでいる。

妻の方は長生きの家系で、義父は89歳、義母は99歳まで元気に生きた。

両家の両親が、揃いも揃って区切りの年齢直前に死亡していることになる。

 

僕の場合、健康診断で細かい部分では要注意や要再検査などの項目が散見されるが、今のところ特別に悪い症状はない。

妻は、「貴方はどこも悪い所がない、全く嫌になるくらい健康ヨ」と、褒めているのか呆れているのか分からない口調になる。

 

しかし僕は、これが決して安心材料ではないことを知っている。

何故なら、僕の母が全くそうだったからだ。

母は、一見健康そのものだった。

出産すら自宅で産婆さんを呼んでいたらしいので、一度も入院したことがなかったほどだ。

しかし68歳の時に、生まれて初めて「体調が悪いから」と入院した。

その検査の結果が、「悪性脳腫瘍で余命半年」の診断だった。

結果的には、わずか三か月後に死亡した

 

母の69歳と二十日後の死を目の当たりにして、初めての家族の死に大変なショックを受けた。

それからは、「先ずは母親の年齢を超えるまで生きたい」と思ってきた。

そして僕は、今年69歳になる。

この第一目標が、わずか半年後に訪れる。

母の例に倣えば、ここでご臨終を迎えても不思議ではない。

生命保険にもたくさん加入してきたし、一応は定年までは仕事が出来たので、家族への責任は果たした積りだ。

 

勿論、そうはなって欲しくはない。

人一倍、生への執着心は強いし、病気には細心の注意を払ってきている。

しかしそれでも、突然の天災や事故は避けようがない。

何より一旦生を受けたあらゆるモノは、いずれは必ず滅びなければならない。

寿命は天命で決まっているだろうし、日本人の場合は80歳くらいが平均寿命だ。

個人の努力で少々伸ばそうとしても、所詮は数年だろうし、寿命が延びたから幸せとは限らない。

 

若い頃には全く無縁と思っていた「死」が、着実に現実のものとなってきている。

しかし考え方次第だが、所謂ボケ老人ではなく、自分で自分の寿命を感じながら死んでいけるのなら、これは幸せな最期ではないだろうか。

だからいつ何時お迎えが来てもいいように、今から心の準備をしておくに限る。

 

家族や親せきに、見苦しい立ち居振る舞いで迷惑を掛けたくはない。

泰然自若として、自分の寿命を受け入れる。

先ずは今年69歳までに到達するまでに、そんな心の修行を積み重ねていく積りだ。