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オウム真理教麻原彰晃が死刑執行された日

7月6日、オウム真理教教祖だった麻原彰晃と、幹部六人の死刑が執行された。
同じ日に、千葉県松戸市で発生した幼女殺人事件の容疑者に、無期懲役の判決が下された。
 
オウム真理教サリンテロに関しては、僕は当日サリンが散布された直後の、地下鉄霞ケ関駅を通過しているので、他人事とは思えない。
その二日後、上九一色村オウム真理教本部が強制捜査された時の、おどろおどろしい雰囲気も鮮明に覚えている。
その後逮捕された麻原彰晃こと松本智津夫は、裁判中も狂人を装い、事件に関しては何一つ語ることなく、死刑判決が確定した。
しかしその執行までには、紆余曲折があった。
 
不思議なことに、オウム真理教の危険な体質に警鐘を鳴らし続けた、ジャーナリストの江川紹子人権派弁護士連中が、死刑執行に反対していた。
江川紹子は、実際に死刑が執行された日も、
・これで事件究明のチャンスがなくなった
・信者が、教祖と幹部が共に旅立ったとみるのでは
と、不満を述べていた。
しかし僕には、こんな理由で死刑に反対する意味が分からない。
 
事件が発生して、既に23年が経過している。
この間、一切事件について語らかった松本智津夫が、ある日突然「悪うございました」と自己批判をすると考えているのか。
教祖と幹部が神格化されるからとか、殉教者が出るとかの理由を掲げるのなら、死刑はいつまでも執行できず、死刑判決は全く有名無実になるではないか。
江川紹子は、オウム真理教諜報省大臣として、反社会的行動を先導していた井上嘉浩について、死刑回避のための運動までしていた。
 
僕は同意はしないが、死刑制度そのものに反対する運動ならば、未だ理解できる。
「冤罪での死刑が皆無とは言えない」との理由なら、一定の賛同者はいるだろう。
しかしオウム真理教事件では、冤罪はあり得ない。
あらゆる証拠、信徒たちの自供から、松本智津夫と幹部たちの責任は絶対に免れない。
なのに、真相究明のためには犯人たちが生きているべきと主張するのなら、長年審議を重ねた裁判そのものがまるで無意味になってしまう。
 
何一つ落ち度のない自分の家族や親せきが、突然オウム真理教のテロによって命を失くしたり、後遺症に苦しんでいる時にも、彼らは同じようなことを言うのだろうか。
死刑は、個人の仇討ちを禁じた現行法の中にあって、国家が代わって悪を成敗することを約束した制度だ。
決して良い制度とは思わないが、しかし蔓延る悪を防止する役割を期待されているし、日本においては多数の国民が死刑制度を支持している。
法体系が死刑を認め、裁判を経て死刑判決が下ったのに、その死刑を執行しないとなると、法体系そのものが成立しなくなる。
 
死刑制度そのものへの反対については、両論を徹底的に闘わせればよいが、その上で決まった法体系には従うべきだ。
評論家の青木理は、「死刑は、死刑囚を連日死の恐怖と向い合せる残酷な刑罰だ」と反対していたが、ならば何一つ悪くないのに殺された被害者の無念さ、恐怖、肉体的な痛みは誰がどう償うのか。
犯人と被害者のいずれに寄り添うのかと言えば、それは被害者に決まっている。
例え大いに反省したとしても、罪を犯した人間は、その罪から解放されることはない。
仮に満期を終えて釈放されたとしても、それは法律的に片付いただけであり、人として被害者への謝罪意識は持ち続けるべきだ。
その点で、江川紹子人権派弁護士も青木理も、犯人側だけでなく、もっと被害者やその家族の心情を理解するべきだろう。
 
この日には、松戸市で発生したリンちゃん殺害事件の犯人と目される渋谷恭正に対して、求刑されていた死刑ではなく、無期懲役の判決が下された。
死刑制度に反対する連中には、良い判決と映るかもしれない。
しかし、被害者やその家族とは何の関係もない僕だが、何とも納得できない。
このリンちゃんは、凌辱された上に殺害され、死体を排水溝に捨てられている。
両親からすれば、目に入れても痛くないほどかわいがっていた子供を、悪魔のような犯人に殺されたのだから、出来るならば犯人を殺してやりたいほど悔しい想いだろう。
しかし、被告の渋谷は、自分は無実だと主張している、
未だに犯人と特定できないからとの理由で、裁判官が死刑判決を避けたのならばそれなりに理解できる。
しかし判決では、「被告は全く反省すらしていていないが、殺害には執拗性、残酷性が高くはなく、計画性がないから無期懲役」と説明されている。
幼気な子供を犯して殺したのに、残酷性が高くないとは何たる言い草かと思うし、犯行に計画性があろうとなかろうと、幼子の将来の全てを奪った罪の深さ、犯行の残忍さから死刑判決しかないだろう。
実際に父親は、「リンちゃんは天国に行けない」と泣いていた。
僕もまた、この両親、死んだリンちゃんのことを思って、やるせなさで一杯だ。
 
裁判とは何だ、死刑判決とは何だ!
望むらくは、被害者にとって、正義を実現する場であって欲しい。