今回のロシア大会の勝ち上り組は全部ヨーロッパ勢、常連の南アメリカ組は、ベスト8で悉く敗退した。
日本も期待以上のベスト16入りだったが、それでも決勝リーグで日本も南アメリカもいなくなった時点で、大会に対しては興味半減。
極論すれば、どこが勝っても、どうなっても、ちっとも面白くはない。
それでもワールドクラスの選手たちの、ひたすら得点を目指してプレイには目を見張るものがある。
今回最もセンセーショナルな話題になったのは、フランス代表10番のMBAPPEで、特にアルゼンチン戦で見せた快速ぶりは衝撃的だった。
メッシが冴えなかったこともあり、「世代交代」とコメントしていた人たちも多かった。
彼は、日本では「エムバペ」と言われている。
これは日本には、子音だけの発音がないので、無理矢理の当て字だろう。
「ムバッペ」との表示もあるが、mはmであり、「ム」ではない。
しかし日本語にすると、どうしても子音mと母音uをくっつけて、「ム」と呼ばざるを得ない。
そう言えば、タンザニアのNGORONGORO地域の日本語は「ンゴロンゴロ」。
日本語に「ン」で始まる単語はないが、アフリカでは人の名前で散見される。
実際のMBAPPEは、母国では「mバッペ」と呼ばれているはずだ。
外国語には、pもtもmも、子音が連続する単語が多数あり、破裂音とか言ってちゃんと読むことが出来る。
その代わりに、母音だけの発音は苦手。
子音が並ぶと発音できない日本人と、母音が並ぶと困惑する外国人の対比は面白い。
ヨーロッパの伝統的な名前は、クリスチャンとかジョン、デビッドなど、キリスト教の影響を強く受けたモノが多く、我々もそんなモノには慣れ親しんできている。
しかし最近のヨーロッパサッカー界では、mバッペだけでなくUMTITIとか、馴染みのない、かなり読みにくい名前の連中が増えている。
これは、アフリカからの移民の増加が原因だろう。
アルゼンチンの英雄マラドーナは、「ヨーロッパの選手なんて移民だらけ」と喝破した。
実際にこれはと思われる有力選手をアフリカから引っこ抜き、自国の代表に仕立て上げるのは、ヨーロッパ諸国の常套手段。
これを冷静に見ると、昔の植民地政策の延長線だ。
昔のヨーロッパ宗主国は、アフリカ人をこき使い、アフリカの資源を簒奪して発展してきた。
今は、サッカーの才能溢れる人材を盗み、自国のナショナルチームを強化している。
その分、本来の母国は、なかなか好成績を上げることが出来ない。
ヨーロッパでは、こんな傾向が続いている。
イギリスプレミアリーグで大活躍のエジプトのサラーや、セネガルのマネが、アフリカでは英雄であり、大人気なのは、彼らがアフリカ諸国を背負って戦うからだ。
オウム真理教の元教祖、麻原彰晃こと松本智津夫たちが処刑された時、ヨーロッパの連中からは一斉に「死刑制度が残る日本は野蛮」と非難の声が上がった。
しかし未だに宗主国意識が抜けず、他国の財宝をかすめ取ってナショナルチームを強化している連中に、人権とかを声高に主張されるとは片腹痛い。
そのmバッペは、ブラジルのネイマールと並んで、過度なシミュレーションで評判を落としている。
確かにすれ違っただけで大袈裟に倒れて、「痛い痛い」とのたうち回る様は、見ていて不快だ。
「今から世界的スターになるはずなのに」と、ミエミエのパフォーマンスを惜しむ声も多い。
しかし、フランスで恵まれないカメルーン移民の子供だったmバッペは、自分の才能だけでのし上がって、国の代表にまでなった。
彼が育った環境はきれいごとで片付く社会ではないことが、彼のプレイ振りから容易に想像できる。。
どんな手段を講じても、とにかく勝てばいい。
そうしないと伸し上れないし、それでも勝てばどんな手段でも不問に付される。
そんな一途な「サッカーだけの天才」は、一種の専門バカであり、世間一般の常識が通用しない。
世界でも指折りのサッカー選手になったネイマールや、将来を嘱望されるmバッペを見ていると、サッカー選手としての名声を得ても、尊敬される存在には程遠い。
彼らがいくら稼いでも、あるいはサッカーファンの喝采を集めても、人間的に認められることはない。
社会的知名度も金銭的余裕も、彼等とは四桁以上の差がある僕だが、ついつい彼等の評判が悪化するほど、分不相応に同情してしまう。
サッカーの為に自らの人間性の評価を犠牲にする必要がなかった僕は、才能がなくてよかった。
また試合でミスをした途端に、存在そのものまで否定されるような批判、非難からも無縁だ。
試合中の態度が悪いと、世界中のマスコミから厳しい叱責報道をされることもない。
人生は、トータルチャラだ。