昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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子供が親を超える時

僕は、子供を持つ親として、「いつの日か、子供が親を超えて欲しい」との気持ちがある。

一方では、「マダマダ負けんぞ」とも思い、結構複雑だ。

 

自分にも、親や兄弟とは一種のライバル関係でもあり、潜在的には「いずれは彼らを超えたい」との希望があったような気がする。

しかし仮に、例え親よりも偏差値の高い学校を卒業しても、あるいは親、兄弟より出世したとして、それが彼らを超えたことになるのか?

家族間の競争には、勝敗を決める絶対的基準があるわけではないので、そこの判断が難しい。

特に親に関しては、結局のところ子供は、いつも、いつまでも親を仰ぎ見ていることが多い。

僕はこれは、極めて自然なことだと思っている。

 

しかし実は一つ、親子の競争で、実に簡単に分かりやすい指標がある。

それは寿命、生存年数だ。

母親は69歳で他界した。

厳密に言えば、69歳と20日だ。

父親は、母が死んで五年しか持たなかったが、それでも79歳と十ヵ月間生きた。

僕は長年、こんなことに関心はなかった。

しかし僕の兄弟が、「お袋の年齢を超えた」とか、「やっと親父を超えた」とか言っていたので、いつの間にか両親の年齢越えを意識するようになった。

 

僕は今年の誕生日で、母親の寿命を超えて、第一関門は突破した。

次はもう十年後の父親越えだが、母親超え直前のタイミングで難問に襲われた。

心臓の疾患が見つかり、現在治療中なのだ。

それまでは持病の心配がないのが自慢だったのに、全く自覚症状もないまま、既に四回の検査があり、その度に結果が思わしくなくなる。

医者は、すぐにでも更なる次の精密検査をやる勢いで、かなり不安感を煽られた。

ただ本人は頗る元気だし、説明された次の検査は、副作用も心配しなければならない。

そこで、家族と相談の上で検査するかを決めることにして、一旦は引き上げた。

 

そして、熟慮に熟慮を重ねた結論は、「入院検査はやらない!」。

二週間後の医者との面談で、これ以上の検査はせずに投薬治療すると宣言した。

 

医者には、全く予想外の答えだったようだ。

すぐに、「このままでは五年以内に心臓発作の可能性があるけど、ご家族はご存じなの?」と脅してきた。

この時は、五年以内が僕の寿命なら受け入れようとも思ったが、しかし残り五年では父親越えが出来ない。

医者に「何とか、十年持ちませんか?」と質問したが、答えは予想通りの「保証はできません」とにべもない。

追加検査は、確率は低いモノの副作用で脳梗塞の恐れもあるし、近所では検査に失敗した結果死んだ人もいる。

医者からは「もう一度家族と相談して、一か月後に奥さん同伴でくるように」と言われてしまった。

 

昔から、「親孝行、したい時には親はなし!」と言われてきた。

確かに僕は、親に心配ばかりかけた親不孝者だった。

会社勤めが軌道に乗り、結婚もして、やっと親を安心させることが出来たが、そんな時に突然母親の残り寿命が三か月と宣告された。

母が死んだ後は、親孝行の真似事で、父親と一緒に旅行したりもしたが、その程度では、とても十分な恩返しになったなどとは思えない。

そんな残念さからか、もういなくなった両親を、何か事あるごとに思い出すし、その度に感謝の気持ちを新たにしている。

 

そんな両親に対して、子供としてできる最後の恩返しが、両親よりも長生きすることのような気がする。

妻からは、「たかが検査くらいで、何を不安がっているの」と叱責されている。

最終判断は8月下旬になるが、医者と妻の圧力で、もう少し、79歳までの長生きにチャレンジとなりそうだ。