昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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和を以て貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ

聖徳太子は17カ条の憲法で「和を以て貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ」と説いた。
本当は聖徳太子の深い仏教哲学が込められているが、大雑把に理解すれば、「喧嘩せずに仲良くしなさい」のような精神訓話だ。
聖徳太子からのパクリで、この先頭部分に「夫婦」の文字をつけたのが、
夫婦は和を以て貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ
で、我が家の夫婦円満の秘訣だと自認している。
 
我々夫婦は、仲間内では「仲の良い夫婦」として通っている。
後輩の中には、大いに面はゆいが「理想の夫婦です」と褒めてくれる連中も多い。
度々夫婦で旅行しているし、さしたる夫婦喧嘩もしない。
リタイアした夫は、妻から粗大ごみ扱いされるとの話もよく聞くが、我が家に関しては長時間夫婦二人きりになっても、相も変わらずあれやこれやと夫婦間の話題が尽きない。
そんな夫婦の日頃の生活ぶりが、他人には物珍しく映るようだ。
 
ただ友人や後輩たちの感想をよくよく聞くと、実は彼らには、我が家の妻の存在感が一般家庭の奥方と違って見えていることに気が付いた。
家庭で妻が生き生きと実権を揮い、夫が諾々と従っている様がたいそう珍しく、そんな家庭環境に好意的な関心を持つ連中が多いのだ。
 
僕は予てから、実は家庭で一番偉いのは妻、即ち母だと思ってきた。
僕の両親の場合、家庭での父親と母親は完全分業だった。
父親は働きに出て給料を稼ぎ、母親は専業主婦として家事全般をこなしていた。
当然ながら子供たちは、余り家にいない父親よりも、常に子供たちの世話をし、かまってくれる母親になつく。
父親は家長として少々威張ってはいたが、実質的に家庭を切り盛りしているのは母親であり、それでうまくバランスが取れていた。
こんな関係は、どの家庭でもごく普通のはずだ。
 
最近はあらゆる場面で、女性の社会進出を容易にし、そこで女性が活躍しやすい環境造りが主張される。
職場でも社会全般でも、男女間差別については厳しい監視の目がある。
そこには、男性に伍して働く女性が時代の先端を走り、家庭を守る主婦は些か時代遅れと認識する傾向を感じる。
しかし僕は、社会でバリバリ活躍する女性たちを否定する気は毛頭ないが、一方で専業主婦として、家庭を守る女性を尊敬してきた。
別段男女同権を声高に叫ばなくても、男女に能力の差などなく、あるのは適性の違いだけだ。
一般論だが、肉体的な力仕事は男性向きで、苦痛に耐えながらも粘り強さを求める仕事は女性が適している。
その結果家庭における夫婦分業は、外の部分を夫が担当し、家庭内は母親を絆として束ねられているケースが多い。
 
我が家に関しては、諸々の決定権は明らかに妻側にある。
と言うか、僕にほとんど相談もないまま、妻の判断で様々な事態が進んでいる。
僕もまた、その方が上手く行くと思っているから、全く文句も言わない。
そんな、一見するとカカア天下そのもので、妻が何の躊躇も障害もなく家庭を思うままに取り仕切っている様が、他人には「仲の良い夫婦」や「理想の夫婦」と見えるようだ。
 
逆の亭主関白なんて、今や流行らない。
「牛に引かれて善光寺参り」同様に、「妻に引かれて老後生活」!
腹黒だった老婆は、牛について行って信仰を得たが、不出来夫だった僕は、妻のリードで老後にチャレンジしている。