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「国士無双」が泣くぜ、百田百樹!

僕は、テレビで歯に衣着せぬ発言を繰り返す、百田尚樹のキャラが好きだった。

彼の政治主張についても、多くの面で賛同していた。

確かに百田尚樹については、中国、韓国に対する政治姿勢や、いわゆる歴史認識に関して、サヨク連中とは相容れないだろう。

だからと言って、百田尚樹の表現の場を奪ってしまうやり方は、民主主義国家としては認められない。

だから彼の一橋大学での講演会を中止に追い込んだサヨク連中に対しては、心底怒りを感じたし、沖縄新聞への舌禍事件についても、百田尚樹を応援していた。

 

僕は作家、百田尚樹の作品が好きだった。

ほとんどの作品を読んでいると思う。

しかし何事にも、例外がある。

僕が百田作品の中で唯一評価していないのが、やしきたかじん未亡人の事を書いた、自称「ノンフィクション小説」の「殉愛」だ。

この小説で、百田によってボロクソに描かれたやしきたかじんの娘から名誉棄損の告発を受け、最高裁まで争ったが、結局百田側の敗訴となった。

僕は百田尚樹の「殉愛」も、またそれを批判した宝島社の「『殉愛』の真実」も読み比べたし、裁判の内容も調べてみたが、どう贔屓目に観ても百田側の分が悪い。

僕は、「百田は好きだが『殉愛』だけはダメ」と主張し続けてきた。

 

そんな中で、ツイッター百田尚樹の「殉愛」を批判する記事を見つけた。

「我が意を得たり」で賛同のツイートをしたが、それっきりで僕自身もすっかりその事は忘れていた。

思い出したのは、最近ツイッター百田尚樹からブロックされたことが判明したからだ。

百田尚樹が、名もない僕個人に関心を持つはずはない。

持つとしたら唯一、僕が「殉愛」を批判したツイートを、目にしたからに違いない。

しかし片や、日本を代表する人気作家で、一方の僕は、名も知れぬ市井の老人でしかない。

そんな老いさらばえた様な人物を、あの、一見国士風情の百田尚樹が気にするものだろうか。

僕は自分自身のことだが、半信半疑、と言うよりも一信九疑のような気持だった。

 

百田尚樹は、自分の講演会を中止に追い込まれた時、「これは言論弾圧だ」と主張した。

僕もそう思う。

世の中には、自分と同じ考えの人ばかりがいるわけではない。

賛成してくれるのは多くて半分、後は絶対に平行線をたどる反対意見だ。

しかし民主主義では、そんな反対意見をも尊重しなければならない。

だからサヨク連中の百田尚樹バッシングについては、全く卑怯極まりない行為だと憤慨している。

 

しかし百田尚樹もまた、自分への反対意見はブロックしてしまった。

これでは、質的に百田尚樹が軽蔑してやまないサヨク連中と同じではないか。

考えられるのは、次の点だ。

百田尚樹は、小説、「殉愛」への批判は、細大漏らさずチェックしている。

・そこでは、どんなに取るに足らない意見でも、反対するものは許せない気持ちになっている。

・逆に見れば一見勇ましく振舞ってきたが、実は小説「殉愛」問題の不利な状況を自覚している。

・見かけと違って百田尚樹は極めて小心者で、「殉愛」が自分の評価を毀損することを恐れている。

当然ながらもう一つ、百田尚樹は今でも、小説、「殉愛」の正当性には自信があり、裁判では負けたが、次の一手を準備中との見方も成り立つ。

 

しかしそれなら、裁判の結果が出た時点で、百田尚樹は正々堂々と今後の方針を表明するべきだったが、今に至るまで百田尚樹のが記者会見を開いたとのか報を知らない。

ついでに言えば、この「殉愛」を巡る裁判で、明らかに百田尚樹を支持していた花田紀凱を始めとする自称「文化人」もまた、裁判結果に対して一言くらいはコメントを出すべきだろう。

 

いずれにしても作家、百田尚樹は、「全部真実」を謳い文句にベストセラーとなった、小説「殉愛」は、その内容について読者への説明責任があるはずだ。

気に入らない事を書いたから、ツイッターをブロックするような姑息なやり方は、「国士」百田尚樹には似合わない。