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安田順平の記者会見って何だったの?

安田順平が満を持して記者会見したが、その評価は、毀誉褒貶、賛否両論が激しい。
尤も褒めていたり、賛同しているのは、大半がマスコミを含む同業者。
僕のような一般の人は、「ハァッ?!」との疑念や、肩透かしされた思いが強い気がする。
 
そもそも、あの記者会見を仕切ったのがテレビ朝日川村晃司なのが胡散臭い。
しかも肝心の安田順平が、長々と愚にもつかないことを喋り続ける。
後にリテラは、「安田さんが貴重な情報を齎しているのに」と称賛していたが、聞く方は退屈極まりないので、ついつい「聞きたいのは、そこじゃない!」と声を荒げたくなる。
僕はこの時点でアホらしくなって、チャンネルを変えてしまった。
後にネットで見ると、安田順平にとって「地獄だった」はずの拘留生活が、実にアットホームなのだ。
 
さすがにツッコミどころ満載なので、続く質疑応答はさぞや盛り上がっただろうと思うと、ここにテレビ朝日の忖度仕切りが待ち受けていた。
司会役の川村晃司が指名した質問者は、テレビ朝日朝日新聞東京新聞毎日新聞の順番で、産経新聞、読売新聞の出番はない。
これでは、安田順平への厳しい質問など、期待できるはずがない。
挙句は、質問打ち切りの後、仲間うちから「おかえりなさい」とか「よく頑張った」とか、エールが飛ぶ始末だ。
 
それにしても安田順平は、一体何を訴えたかったのだろう?
そもそも三年四か月にも亘った人質生活は、シリア入国直後に拘留されたことから始まったのだが、それは安田自らの言によると、「凡ミス」が原因らしい。
何と、「知らない人についていった」らしいのだ。
本人も「何故ついていったのか分からない」と言うレベルのチョンボ行動だ。
また組織防衛のためにだろう、自らの組織ネームを最後まで秘匿したテロ集団が、最も組織実態がバレやすい日記をつける事だけでなく、安田順平にそれを持ち帰らせたのは一体何故なのか?
他にもクレジットカード使用の疑いもあり、こんなところから自作自演説や、テロ組織との共犯説などが生まれている。
日記をベースに正確な日付で、何があったかを縷々説明するよりも、安田順平には、何故に日記が禁止されなかったのかを説明してほしい。
 
解放直後の機内インタビューで、安田順平が語った内容も批判を招いた。
彼は「日本政府が動いて解放されたと思われるのは心外で、望んだものではなかった」みたいなことを喋った。
しかし今回の会見では、テロ組織に「解放するか殺すかしてくれ」と迫った結果、期限ぎりぎりの最終日に解放されたと言う。
人質が、期限付きで犯人連中に解放を迫るなんて、そうありうる話ではない。
安田順平が、テロ組織にいかに大事にされていたかが分かるエピソードだし、そこまで追い込まれていたはずの彼が、「日本政府が動いたとだけは思われたくなかった」と拘った理由は何なのか?
質疑応答では真相解明のために、当然どこかのマスコミが舌鋒鋭く迫るかと思いきや、残念ながら全部完全スルー。
 
これでは、安田順平を英雄視する人なら満足するかもしれないが、ジャーナリストとしての彼の行動に疑問を持っている側には消化不良感だけが残る。
外務省も、「安田氏が解放されたプロセスが分からないので事情を聴く」方針らしい。
無事に解放されたプロセスには国家機密も多いだろうから、全面的情報公開は無理だろう。
しかしテロ組織による、安田順平の長期間拘留の真実は何だったのかは、再犯防止の為にもあらゆる情報が公開されねばならない。
記者会見で述べた、安田順平の反省と謝罪が事実ならば、彼には外務省と警察に対して、知っている全てを明らかにする義務があると思うが。