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右もヒダリも、ダブルスタンダードはダメヨ

安倍首相ほど、毀誉褒貶が激しい政治家は稀だ。
好意的な人たちは安倍政権が続くことこそ国益だと主張するし、批判的な人たちは蛇蝎のように嫌う。
しかしその批判票が、野党支持に結びつかない。
安倍政権の支持率は40%~50%を上下しているが、野党第一党立憲民主党ですら5%程度の支持率でしかない。
これは、野党がだらしないことの裏返しだ。
 
野党への期待感が高まらないのは、政権交代を果たした民主党が全くの期待外れで、その無為無策に多くの国民が失望してしまったことに大きな原因がある。
しかしその政権交代から、既に10年近い年月が過ぎている。
その間の安倍政権が盤石だった訳ではなく、野党にもチャンスがあったはずだ。
それでも選挙結果が、野党に政権を任せようとならないのは、未だに続く野党の幼児性が上げられる。
与党のやることには条件反射で反対し、揚げ足取りに終始する。
国会の議論では、理論的背景も一貫性もなく、極めて場当たり的パフォーマンスを繰り返す。
自分達の発言への責任感がないのでは、誰も安心して彼らに政を任せようとは思わない。
 
そして極めつけは、恥ずかしげもなく究極のダブルスタンダード的行為を連発することにある。
古くは当時の野党、社会党共産党の「アメリカの原爆は悪で、ソ連、中国の原爆は正しい」との主張があり、最近の例では、財務省福田次官のセクハラ問題まで、枚挙の暇がない。
この時の野党政治家たちは、「Me, too!」のプラカードを持ち、黒の正装で抗議行動に臨んだ。
ところが自分たちの政党でもセクハラ問題が発生すると、それには知らぬ顔の半兵衛を決め込む。
辻元清美は、安倍首相の森友学園疑惑に対しては舌鋒鋭く切り込むが、自分への疑惑が発生すると、マスコミに圧力をかけてひたすらダンマリ作戦に終始する。
自分達の政権で辺野古移転や消費増税を決めても、野党になれば「時代が変わった」と反対する。
野党のダブルスタンダードは昔から続いていて、その全てがブーメランになって自らに降りかかっている。
こんな野党では、信用、信頼するわけにはいかない。
 
しかしこのダブルスタンダード問題は、サヨク側だけに発生している問題ではない。
安倍政権支持勢力でも、ダブルスタンダードを犯しているケースがある。
それは百田尚樹のノンフィクション「殉愛」を巡っての、安倍政権支持連中の対応だ。
百田尚樹と出版社の幻冬舎は、この小説で名誉を毀損されたとする人たちから訴えられた。
その過程で、百田尚樹と政治的立場を同じくする連中は、明らかに原告を批判し、被告人を擁護していた。
しかし最高裁まで争った結果、百田尚樹幻冬舎の敗訴が決定した。
もしも百田尚樹幻冬舎が、今までの自分たちの言論に責任を持つのなら、敗訴が決定した時点で何らかのコメントを出すべきだ。
またそれは、百田尚樹を支持した言論人も同様だ。
しかし今までのところ、この連中から「殉愛裁判」の結果や、この間の百田尚樹の言動に関して、何一つ説明がなされていない。
裁判で百田尚樹側の名誉棄損が最終的に認定されたにも拘らず、政治的同志だからとの理由で、彼への批判や追及を避けているとしか見えない。
あの容貌で遠慮会釈なく反対意見を切りまくってきた百田尚樹は、今度は自分が批判される立場になった途端、自分への反論ツイッターをブロックしまくっている醜態を晒している。
これでは、自分が所属する組織の議員のセクハラ問題を、政治的立場を優先して一切取り上げない野党議員たちや、自分への疑念に頬被りの辻元清美と、何が違うと言うのか。
 
今のままでは、当事者の百田尚樹は無論だが、百田尚樹と同様の政治スタンスで仕事をしている有本香、花田紀凱高須克弥、上念司、櫻井よしこケント・ギルバードたちは、野党のダブルスタンダードを笑えない立場だ。
スジを通すのなら、彼らは百田尚樹が「説明責任を果たしていない」と批判するべきだ。
そうでなければ、この連中もまた、野党同様のダブルスタンダード体質と思わざるを得ず、その主張にも素直に賛成することはできない。