安倍首相ほど、毀誉褒貶が激しい政治家は稀だ。
好意的な人たちは安倍政権が続くことこそ国益だと主張するし、批判的な人たちは蛇蝎のように嫌う。
しかしその批判票が、野党支持に結びつかない。
これは、野党がだらしないことの裏返しだ。
しかしその政権交代から、既に10年近い年月が過ぎている。
その間の安倍政権が盤石だった訳ではなく、野党にもチャンスがあったはずだ。
それでも選挙結果が、野党に政権を任せようとならないのは、未だに続く野党の幼児性が上げられる。
与党のやることには条件反射で反対し、揚げ足取りに終始する。
国会の議論では、理論的背景も一貫性もなく、極めて場当たり的パフォーマンスを繰り返す。
自分達の発言への責任感がないのでは、誰も安心して彼らに政を任せようとは思わない。
そして極めつけは、恥ずかしげもなく究極のダブルスタンダード的行為を連発することにある。
この時の野党政治家たちは、「Me, too!」のプラカードを持ち、黒の正装で抗議行動に臨んだ。
ところが自分たちの政党でもセクハラ問題が発生すると、それには知らぬ顔の半兵衛を決め込む。
野党のダブルスタンダードは昔から続いていて、その全てがブーメランになって自らに降りかかっている。
こんな野党では、信用、信頼するわけにはいかない。
安倍政権支持勢力でも、ダブルスタンダードを犯しているケースがある。
それは百田尚樹のノンフィクション「殉愛」を巡っての、安倍政権支持連中の対応だ。
その過程で、百田尚樹と政治的立場を同じくする連中は、明らかに原告を批判し、被告人を擁護していた。
またそれは、百田尚樹を支持した言論人も同様だ。
しかし今までのところ、この連中から「殉愛裁判」の結果や、この間の百田尚樹の言動に関して、何一つ説明がなされていない。
裁判で百田尚樹側の名誉棄損が最終的に認定されたにも拘らず、政治的同志だからとの理由で、彼への批判や追及を避けているとしか見えない。
これでは、自分が所属する組織の議員のセクハラ問題を、政治的立場を優先して一切取り上げない野党議員たちや、自分への疑念に頬被りの辻元清美と、何が違うと言うのか。
今のままでは、当事者の百田尚樹は無論だが、百田尚樹と同様の政治スタンスで仕事をしている有本香、花田紀凱、高須克弥、上念司、櫻井よしこ、ケント・ギルバードたちは、野党のダブルスタンダードを笑えない立場だ。
スジを通すのなら、彼らは百田尚樹が「説明責任を果たしていない」と批判するべきだ。
そうでなければ、この連中もまた、野党同様のダブルスタンダード体質と思わざるを得ず、その主張にも素直に賛成することはできない。