昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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日本人の倫理観

最近は地上波テレビはほとんど見ず、専ら衛星放送やケーブルテレビで海外サッカーを楽しんでいる。
スピード、テクニック、がたいの凄さ、いずれも流石に本場モノで、国内では中々お目にかかれない。
しかしたまにだが、気になるシーンに出くわす。
ピンチに陥ったチームの選手が、相手の攻撃を邪魔するために、わざと反則をするのだ。
するとすかざず解説者が、「流石ですねぇ、ここはイエロー(カ-ド)覚悟で(相手を)止めました」と、如何にも良いことでもしたかの如くに喋る。
戦術上は、こんな時の反則は許されるし、むしろ奨励すらされている。
 
しかし、そんなのおッかしいだろ!
 
この考えの根底には、反則をすればイエローカード(若しくはレッドカード)を貰うので、それで帳消しとの考えがある。
しかし、反則は反則だ。
お互いの選手を守るために、危険行為は自粛するのが当たり前で、だからこそ、規則でやってはいけないと決めている。
スポーツだけでなく、一般社会でも、「反則は絶対にしてはいけない」との考えが優先されるべきであって、それでも不慮の事態が起きた時の罰則が、イエローカードやレッドカード、法律のはずだ。
罪を償えば許されるのではなく、罪そのものを犯さないとの共通認識がなければ、この世はヤバくて渡れないではないか。
 
そんな事から、昔熱心に見ていたプロレスを思い出した。
僕がまだ紅顔の美少年だった頃はプロレス番組が大人気で、テレビで見る力道山ジャイアント・馬場、アントニオ・猪木の雄姿に胸躍らせたものだ。
この場合、悪役の外国人レスラーが悪ければ悪いほど興奮して、反則攻撃に苦しみ抜いた末に日本人レスラー(力道山朝鮮人とは夢にも思っていなかった)が、最後の最後、放映時間の終了間際に見事に外国人レスラーをやっつける。
その悪役たちが反則の限りを尽くすのだが、不思議にもカウント5内であればやりたい放題だった。
カウント4で反則を一旦やめるが、すぐに同じことを繰り返す。
カウント5までは反則が許されると言うのも、摩訶不思議だが、これもまたルール。
その無法ぶり、残虐さに悲憤慷慨しながら、必死に日本人レスラーを応援していた。
長じるにつれ、あれは全部八百長で、シナリオ通りに進んでいたことが分かり、気が抜けた想いに駆られた。
 このプロレスの反則は演技だし予定調和内だから一向に構わないが、真剣勝負のサッカーでは、やはり反則をしてはいけないはずだ。

しかし、そんなことを思うのは世界中でも少数派で、ひょっとしたら日本人だけかもしれない。
大半の、いわゆる普通の日本人には、「お天道様が見てござる」との倫理観がある。
「天網恢恢疎にして漏らさず」と同じ意味で、内緒で悪いことをしても、必ずバレるとの戒めだ。
だから多くの日本人は、無意識、無自覚でも「悪いことをしてはいけない」と思っている。
しかし弱肉強食の世界で生き延びてきた外国人には、この考えはなかなか通用しない。
勝利の為なら、法律の抜け穴と一緒で、反則だって何だって、利用できるモノならすべて利用する。
最後は、勝利が正義になる。
歴史だって、勝利者の言い分が残っているだけで、敗者は負けた時点で価値ゼロの存在だ。
そんな価値観、倫理観の持ち主だから、サッカーでも勝つ為なら反則行為を辞さない。
 
最近の哨戒機レーザーロックオン事件で、ウソに嘘を重ねる国家などは、その典型だ。
国民の生活を犠牲にしてまで核兵器開発に邁進する国、経済力を背景に恫喝まがいの無理押しを繰り返す国も一緒で、ウソをつき続ければ、いつの間にかそれを事実と思い込んでしまう傾向がある。
お人好し国家の日本が、こんなウソつき、無法国家と渡り合い、日本の国益を守る外交を進めるためには、信頼できる同盟国、最低でも話合いできる国家をどれほど増やすかが肝だ。
万全な体調ではないにも拘らず、安倍晋三首相が世界中を飛び回っている意味がここにある。
 
たかがサッカーの反則だが、素晴らしい日本の常識が世界で通用しないのは悲しい現実だ。