昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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客観性

年をとってくると、謙虚さが欠落する。
老人になり、最初に欠落するのは、自分を客観的に見つめる能力だと聞いた事がある。
同感である。
功成り名を遂げた人たちが、去り際、散り際を間違え、老醜を晒し、結果として晩節を汚すのを多く見てきた。

自分を省みても、間違いなくその方向に進んできている。
だんだん、小うるさい爺ィになっているような悪い予感がある。
汚すほどの晩節ではないため、世間ではたいした悪評、ニュースにはならないだろうが、家族からは、「ちょっとネェ」と眉を顰められているに違いない。

僕は右翼ではない。
僕の様々な物の見方は、右翼的に見えるかもしれないが、絶対に右翼ではない。
左翼ではもっとない。
左翼の理想主義に興味を持った時期もあったが、中身が分かるにつれ性質が悪い事も分かってしまった。
前衛主義はエリート主義そのものであり、エリートが腐敗すると俗物以下にまで落ちてしまう。
左翼エリートは危険だ。

よって、今後とも、右にも左にも偏ることなく、大変難しい事だが、公平に、客観的に物を考えていきたい。
この自分の機軸だけは絶対にブレたくないとの信念を持っている積りだ。
また決してブレてはいないと確信している。

ただ、好き嫌いがある。
育った環境もある。
自分ではいくら客観的と思っていても、善悪の価値判断は僕一人のものであり、他人からは独善的と見られる事が多いかもしれない。

僕は、極めて小市民的生活を送っている普通の市井の徒でしかない。
だから、偉そうな事を書いたり言ったりしても、実際には間違いだらけだろう。
過ちを指摘されたら、その時こそ謙虚に対応する積りだ。

思い込むからこそ、間違うからこそ面白い。
完璧な人よ、さようなら。
普通の人、面白い人、いい加減な人、こんにちは。