昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露しています!

米中がもしも戦わば⁈

武漢肺炎は、間違いなく国災であり、人災だ。

国災とは、武漢肺炎が中国で発生した大災厄だからであり、人災とは、習近平中国共産党が適切に対処していれば、もっと遥かに小規模に防げたはずだからだ。

中国政府は、武漢で発生した新型コロナウィルスを、一か月半に亘って隠蔽した。

これがなければ、世界中の感染者や死者数は今ほど悲惨にはなっていなかったはずだ。

中国政府の罪は、万死に値する。

 

習近平は、8時間の余裕をもって、武漢市封鎖を発表した。

何故そんな愚作を仕出かしたのか分からないが、その結果は言うまでもない。

中国人は、自国政府を全く信用していないが、それでも政府が、武漢市封鎖にまで踏み切るのはただ事ではない。

しかも今なら、武漢市を脱出できる。

武漢肺炎に罹患している可能性が高いにも拘らず、そう考えた富裕層を中心とした中国人が、我先に武漢市を脱出した。

中国に遅れて、その他の国々で武漢肺炎のパンデミックが発生したのは、この時世界中に散った中国人の所為だ。

習近平の罪もまた、万死に値する。

 

しかし、厚かましさにかけては、韓国同等以上の中国だ。

武漢肺炎の発生原因をアメリカの生物兵器と言い募って見たり、世界のマスク80%を生産している強みを生かして、被害国にマスク外交を仕掛けたり、果ては対米医薬品輸出の禁止をチラつかせ始めた。

また「中国はいち早く新型コロナウィルスとの戦いに勝利したので、世界は中国に学ぶべきだ」との、恐ろしいまでに倒錯したアホ論理を展開している。

盗っ人猛々しいとはこのことで、一昔前にいた説教強盗、放火犯が消化器を売り歩くようなものだ。

 

さすがに喧嘩を売られたアメリカも、黙ってはいられない。

元々、米中貿易戦争の真っただ中で、お互いの輸入品に高関税をかけあっていたのだから、武漢肺炎を切っ掛けに、ひょっとしたら米中両国が決定的な正面衝突するかもしれない事態を迎えている。

無論、今の時点で武力の争いになれば、いくら中華思想に凝固まっていても、中国に勝ち目はない。

だから中国が、第三次世界大戦のような乾坤一擲の勝負に出る可能性はない。

しかし、自分が火をつけた今回の武漢肺を利用し、中国主張の一帯一路構想を推し進めようと、武漢肺炎の被害国に支援を申し出て、世界的な影響力を強めようとしていることは事実なので、アメリカとしては黙視するわけにはいかないのだ。

トランプ大統領を始め、アメリカの高官が立て続けに中国を批判しているのは、アメリカの危機感の表れだ。

アメリカは、断固として中国を経済面で締め上げるに違いない。

 

しかし、今の世界各国の動きを見ていると、中国を激しく批判しているのは、実はアメリカだけだ。

最大の被害地、ヨーロッパ諸国ですら、中国への批判は目立たらない。

我が日本もまた、大変な迷惑を被っていても、保守派で基本的には中国を警戒しているはずの安倍政権ですら、中国への面と向かった批判はやらない。

それどころか、武漢肺炎が世界的に問題視され始めても、4月の習近平国賓来日の中止になかなか踏み切れなかったし、中国人の来日制限措置も大幅に遅れて実施した。

客観的に見れば、アメリカを除いて、世界中が中国に対して及び腰なのだ。

 

世界の冷戦は、ソ連を中心とした共産主義国家群の敗北で幕を閉じた。

しかし今でも中国では、訳の分からない共産主義もどきを掲げた共産党独裁国家だ。

そんな独裁政党が、14憶人の中国人を代表している。

人類にとって、地球にとって、これほど危険な存在はない。 

本来、日本や世界が採るべき道は単純で明快のはずだ。

世界中がこれほどの被害を受けたのだから、中国政府、中国共産党を徹底的に批判し、アメリカと共に中国と対峙しなければならない。

 

今回の武漢肺炎は、中国が一党独裁全体主義国家であることが一番の原因なのだ。

そしてその中国で、今の政治体制が続く限り、世界の安寧秩序は生まれ得ない、

現在も将来も、中国こそ世界の災厄国家なのだ。

経済は、安定した政治があってこそ機能する。

「中国は有力なマーケット」などの幻想は、この際、捨て去るべきだ。

中国に深入りすればするほど、いざと言う時のダメージは致命傷になる。

そんな中国とアメリカの、対立は不可避だ。

日本をはじめとする自由主義国家は、自由と民主主義の価値観を共有している。

だからこそ、挙ってアメリカを支持しなければならない。

僕は、強くそう考えている。

相性の良し悪し

僕は、「夫婦相和し」の秘訣は会話だと確信している。

仲の良い夫婦は良く会話するが、仲が悪い夫婦間ではほとんどそれがない。

 

僕の知るある夫婦は、顔を合わせても共通の話題がない。

話すことがなければ、二人して気まずい時間を過ごすことになる。

するとどうしても、出来るだけ顔を合わさないように、片一方の外出が増える。

しかし、そうは言っても夫婦なので、スケジュールなど、最低限のことはお互いに確認していなければいけない。

そこで役に立つのが、トイレを利用したコミュニケーションだ。

夫婦二人とも、トイレは必ず利用する。

そのトイレのカレンダーに、自分のスケジュールを書いてさえいれば、少なくとも行方不明で心配されることはない。

両方がマイペースに徹している、そんな夫婦関係が、円満なはずはない。

 

その原因を探ると、実は夫婦の考え方や嗜好の違いに辿り着く。

夫婦が別々の考えや嗜好だと、会話は激減する。

要は夫婦二人の間に、高校数学で学んだ因数分解の共通項がどれほどあるかの問題だ。

共通項と言っても、「夫婦二人とも政治に興味がある」だけではダメで、支持する政党が同じでないと喧嘩になる。

夫婦が、野党支持と与党支持に分かれているなら、二人でこの話題をとりあげることは絶対にタブーだ。

政治論議は平行線で、交わることがないからだ。

政治ほど深刻でなくても、例えばプロ野球で巨人ファンとアンチ巨人ファンも議論しない方が賢明だ。

 

そしてもう一つ身近な例では、「よしもと」をどう評価するかなども、夫婦の重要な共通項になる。

実はケーブルテレビで放送予定だったテニスワールドツアーが、ご多分に漏れず武漢肺炎の所為で中止に追い込まれ、放送枠が開いてしまったので三年前に放送された、よしもと新喜劇を大量に放送していた。

結果的に全部自動録画されたので、久しぶりによしもと新喜劇を楽しむことになった。

 

僕は元々、こんな馬鹿げたお笑い番組が大好きで、マンネリと分かっていても、繰り出されるギャグに、観客と同じタイミングで大笑いする。

しかし一般的には女性陣は、こんな分かり切った話の展開や、毎度お馴染みの出演者が、毎度お馴染みのギャグをかましても面白さを感じないケースが多い。

小馬鹿にするのが関の山だが、我が妻は、僕と一緒に大笑いしている。

あろうことか、放送後の感想会にも参加してくる。

夫婦揃って、よしもとを喜ぶのは、夫婦円満の証拠だ。

 

これは、相性の問題だ。

我が家の場合、たまたま政治思想も似ているし、モノゴトへの感性も似ている。

別段そうと分かって結婚したわけではなく、結婚してみたら似たもの夫婦だっただけなのだが、これは奇跡と呼んでもいい相性の良さだった。

武漢肺炎で出社がままならず、やむを得ず、自宅勤務を強いられている人が多い。

そんな会社員の夫婦仲が悪いと、亭主が仕事に出かけないのは、双方にとって不幸だ。

我が家は、息子が呆れるほど夫婦の会話が弾むし、世間からは夫婦仲が良いと見られている。

引退後の自宅に、自分の居場所があるのは幸せなことだ。

元TBS社員、杉尾秀哉もまた絶対に許せないヤツ!

元来、個人の悪口を言うのは好きではない。

(.........などは大ウソで、ヒダリ巻き連中や、平気でダブスタ行動する野郎どもは、左右を問わず悪口を言う事にしている)

 

そんな極めて寛容な僕だが、久しぶりに元TBS社員、杉尾秀哉に対しては嫌悪感以上の憎悪を覚えた。

こんなヤツ、社会の害虫でしかなく、存在意義の欠片もない。

この杉尾は、偏差値が高いはずの東大文学部を卒業した後、あの反日放送局TBSに入社、報道部門を渡り歩き、最終的には立憲民主党所属の参議院議員と成り果てた。

まさしく「成り果てた」としか思えないが、いつ、どんな切っ掛けで、今のようなヒダリ巻き思想に被れたのか、しかもなぜ社会人経験を経ても尚、ドンドン左傾化していったのかは、付き合いもないし、付き合う気もないのでので、勿論知らない。

 

しかし普通の社会人経験者なら、やって良いことと悪いことの判断はできるし、やってはいけないことを仕出かしたら、すぐに謝る程度の社会常識は身につく。

ところがこの杉尾は、昔から常識なしだが、近年それに拍車がかかってきて、正真正銘の大バカ野郎と化している。

 

杉尾と言えばTBS時代に、TBSスタッフがオウム真理教幹部に放送前のビデオを見せ、それが坂本弁護士一家の殺害につながったとの日テレのスクープに、自分の番組で猛抗議したが、後に渋々事実と認めた過去がある。

松本サリン事件では、被害者の河野義行さんを「疑惑の人」と、犯人と決めつけたかのような質問を浴びせて顰蹙を買った。

後に杉尾が、長野県から参議院選挙に出馬した時、あの温厚な河野さんが舌鋒鋭く杉尾を批判したことも記憶に新しい。

河野さんは、サリンを散布して妻を廃人にし死亡させた、犯人グループのオウム信者さえ許し交流したほどの人格者だ。

その河野さんが、オウム真理教同等以上に最後まで許さなかったのが、フェイクニュースを垂れ流した日本のマスコミであり、杉尾がその右代表だ。

 

その杉尾だが、参議院議員としてもまた、ドンドン左巻き度が重篤化している。

杉尾が所属する立憲民主党は、武漢肺炎が国難となった今でも、森友学園問題で公文書を偽造した職員が自殺した事件を大々的に追及して安倍政権を窮地に追い込む算段だ。

だが自殺の前日、この杉尾と、杉尾に劣るとも勝らないアホ議員、小西洋之が一緒に財務省に押しかけ、パワハラそのものの圧力を加えていたことが判明している。

 

そして今回は、安倍明恵夫人の花見批判だ。

この点を杉尾は3月27日の国会で、安倍首相に「舌鋒鋭く」迫っている。

しかもネタ元は、週刊ポストと来ている。

杉尾は、「花見自粛要請の中、首相夫人が花見に興じている」と批判したが、安倍首相から「自粛要請が出ている公園ではなくレストランの庭だ」と切り返されると、「レストランならいいのか」と悪態をついた。

先ずこの点だが、左様!レストランなら問題はないのだ。

 

実はホンマ物の杉尾の失態はこの後で、何と、国会と言う公の場で安倍首相を攻撃した翌日、杉尾は選挙区の長野県で「あんずの花見」に興じている写真を、得意気にFacebookにアップしていたのだ。

pic.twitter.com/aQsn3450ro

当然ブーメランで大批判を浴びたが、杉尾はこの記事を削除し、「地元のあんずの花の写真をアップしただけで、花見はしていない」と言い訳している。

立憲民主党にはレンホーを始めとしてブーメラン名人が多いが、今回の杉尾のブーメランは、ほとんど同じことを自分が仕出かしながら、それでも相手を攻撃するまでの時間の短さや、バレた後の足掻き振りが、前例をも凌ぐとさえ見られる。

 

杉尾!キミは、人間として恥ずかしくないのか!

先ず国会で質問する前に、自分がやっていたことくらいは把握できていただろう。

自分があんずの花を愛でていたら、安倍明恵夫人が桜の花の前で記念撮影したことを追及したら、マズイ結果になる程度は分かるだろう。

それとも、「桜はダメだが、あんずは良いはずだ」とでも思っていたのだろうか。

立憲民主党の議員連中は、他人には厳しいが自分にはからっきし甘いと評判だが、杉尾は、そんな中でもウルトラトップクラスのアンポンタンだ。

ここまでの失態がバレたのなら、まずは潔くサッサと謝罪するべきだろう。

それを「花見をしたわけじゃない」とか、「国会議員を辞めさせるとかの誹謗中傷を浴びたので、記事を削除した」だの、ガキ以下の言い訳で逃げ切ろうとする。

 

そんな議員とそんな議員が所属する政党が、国民の信頼を得るはずがない。

バカ、アホ議員の杉尾秀哉には呆れ果てるしかないが、こんなヤツでも参議院議員だ。

杉尾を国会に送り込んだ長野県民は、どう落とし前をつけてくれるのかだが、それは次の選挙で賢明な判断が下されるモノと信じたい。

ギリギリ持ち堪えている

僕は歳を食った後に英会話の勉強を始めたので、はなはだ覚えが悪い。

しかし場数を踏んだのと、生来の厚かましさから、会社員の末期には「通訳さえいれば、通訳なしで会話できる」レベルにまで到達した。(あくまで自己評価だけど)

 

英語の方はヨチヨチ歩きだが、日本語に関しては、日常生活では全く不都合がないほどの使い手を自称している。

僕の中学時代は、教師の大半は日教組に所属し、反日教育が真っ盛りだった。

その教師の一人は日本は疎か日本語まで貶し「英語は最初に結論が分かるが、日本語は最後まで聞かないとYes Noが分からないので、英語に比べて劣った言語だ」と教えた。

当時は単純に、「そんなモノかナァ」と思っていたが、後に様々な経験を経て、日本語は、日本人の心情と気質に、実にフィットした言語だと思い至っている。

日本語は、決して諸外国の言葉に比べて、劣っている言語ではないのだ。

 

例えば、日本語は最後まで結論が分からないとの言い掛かりがあるが、それは最後まで相手を慮る日本人の美徳なのだ。

逆に英語は、相手に自分の立ち位置を早く知らせ、敵味方を峻別しなければ生き残れない、厳しい環境下の言語だ。

一時期、グローバルとか国際化とか、英語圏の弱肉強食、優勝劣敗の文化が世界を席巻したかに見えたが、ドッコイ、アラブ圏ではアメリカ的価値観は拒否された。

一方、一見すると優柔不断とも思える日本語だが、実はその中に内在する優しさが外国人に伝われば、日本語への理解者が増えてくると期待している。

 

そんな日本語で将に「言い得て妙なり」の表現が、「ギリギリで持ち堪えている」だ。

菅義偉官房長官が、武漢肺炎の日本の現状報告の、記者会見で使ったフレーズだ。

日本は今、武漢肺炎がパンデミックになるか否か、その際どい綱渡りの真っ最中。

英語で言えば、bear to the boneかもしれないが、日本語のニュアンスは、「一歩間違えば奈落の底に真っ逆さまだが、ギリギリの瀬戸際で踏みとどまっている」だ。

先行きに安心はできないが、現状は絶望的でもない。

我々日本人の努力と献身次第で、厳しい環境を突破できる可能性がある。

 

日本人ならこの言葉だけで、誰でもそんなことを肌感覚で分かる。

外国人は、情況を数値化しないと不安なので、Fifty-Fiftyなどと表現するが、これでは「ギリギリで持ち堪えている」イメージが全く伝わらない。

要は英語では、「厳しいけど、全員で頑張ろう」の分かりやすい表現ができないのだ。

 

この歳まで生きてきて、僕は日本の将来は明るいと確信している。

何よりも、日本人は平均的に見れば、世界一アタマが良いしモラルが高い民族だ。

「お天道様が見ている」と、誰も見ていなくても悪いことをしない自制心であり、通りすがりの神社にお辞儀する、律儀な礼儀正しさに表れている。

そんな日本人の気質が、何気なく使っている日本語の、味わい深い表現に溢れている。

 

中国由来の武漢肺炎は世界的災厄だが、それを乗り越える過程で日本の素晴らしさを再発見する機会になれば、収支はとれないまでも、微かな慰めにはなる。

どうにも腹が立って落ち着かない

もうイイ歳をした老人なのだから、事の善悪に一々腹を立ててはいけないことぐらいの常識は、しっかりと持ち合わせている。

しかし、そんな理想的で模範的で良識的な気持ちにも拘らず、世間の動きを見ると腹の虫がおさまらない。

その原因は、言わずと知れた武漢肺炎で世界中を大混乱に追い込んだ中国、解決の役に立たないマスコミと日本の野党どもの行動だ。

 

今や世界中が、大パニックに陥っている。

連日ニュースがアップデートされるたびに、患者数は爆発的に増え続け66万人超、それに比例して死者数も3万人を超えるなど、大変なことになっている。

この武漢肺炎が騒がれ始めた当初、単なるインフルエンザの一種とか、インフルエンザで毎年1万人以上の死者がいるとか、新型ウィルスを軽視する意見も多かった。

右寄り論客と見られていた上念司もその一人で、今はビミョーに前言を翻し、いつの間にか「大変なことになった」論に乗り換えてきた。

一方、同じく右寄り論客で且つAV映画監督、村西とおるの方は、今に至っても外出自粛は経済活動を低迷させ、中小企業を破綻に追い込むと、能天気に批判している。

 

無責任に政府の危機対策を批判する連中は、しかし、思い出して欲しい。

3月に突然、武漢肺炎の集団感染を防ぐために、安倍首相が学校閉鎖を決めた。

途端に野党からは「決定が唐突だ」「安倍政治は強権的だ」「子供の面倒が見れない親への配慮がない」と大ブーイングの嵐となった。

立憲民主党のオバカ議員、蓮舫に至っては「即刻撤回しろ」とまで迫っていた。

その後、中国人、韓国人の入国制限に踏み切った時も、野党やコメンテータは雁首を揃えて「ハンタイ」の大合唱だった。

しかし、「首相の責任で政治判断した」と反対を押し切ったこの政策で、日本は武漢肺炎パンデミックに対して、間違いなく時間を稼ぐことができたではないか。

 

現在は、経済への悪影響は後日政治的に補填するとの判断から、政府も地方自治体が続々と、国民への外出自粛を要望し始めている状況だ。

もちろん、小池百合子都知事が都市封鎖まで示唆した時に、「物資は充分に在庫があるので買い溜めの必要はない」との説明をしなかったことは、ミスと言えばミスだ。

これで、一瞬にしてスーパーの陳列棚から食料品がなくなる光景が見られたし、それを以て、それ見たことかと、政治家を批判する連中もいる。

だが、トランプ大統領が言っているように「現状はウィルスとの戦争」なのだ。

政治家の揚げ足をとって留飲を下げても、ウィルスの脅威減には全く寄与しない。

 

そもそも、マスコミが買い溜め発生を煽り立て、これ見よがしに空っぽの棚を報道するから、不安になった市民が自己防衛に走ってしまう。

本来の日本人は、大震災の時ですら整然と並ぶ美徳の持ち主なのに、国民の不安を煽り立てているマスコミの存在こそ、武漢肺炎対策の邪魔モノなのだ。

また、「自分は大丈夫だから」とか「家にいても退屈だから」と、こんな状況でも外出するバカ者たちこそ、マスコミは強く批判して報道するべきだ。

 

NHK日曜討論で、立憲民主党福山哲郎は「とにかく政府のやることとは遅い」と言い、共産党小池晃は「景気回復のために消費税を5%に」と主張していた。

君たち、言うだけだからいいよねぇ!

言うだけ番長」で、責任なんかなァ~んもない、お気楽な存在だもんねぇ。

 

今回の武漢肺炎の所為で、全国民が普通に生活できない環境下におかれ、ヒト・モノ・カネの全ての動きが止まっている。

中小企業、個人経営の商店、屋台だけでなく、大企業だって、程度の差こそあるが、全てが資金繰りを不安視せざるを得ないほど困窮している。

だからクーポンをとか、現金支給とかの、財政支援を約束することも大事だ。

 

だけど、とにかく日本にとっても、世界にとっても喫緊の課題は、武漢肺炎の今以上の蔓延拡大を止めることなのだ。

武漢肺炎患者が増え続ける限り、何一つ具体的な解決策は実行できない。

仮に武漢肺炎を罹患しても、医療体制が整備され、治療が施せる体制を確立されていれば、国民の不安感は大幅に緩和される。

究極の対策は、武漢肺炎の特効薬を作り出すことなのだ。

 

だからそれまでは、政権の足を引っ張る行動は、厳に慎むべきだ。

関東、東北地方を襲った大地震の時、時に菅直人総理大臣の外国人不正献金問題を追及していた自民党が、災害対策最優先で「撃ち方止め」を実施したように。

しかし野党は、この期に及んでも、安倍首相に対して森友問題を質問し、あろうことか、レストランの桜を前に記念撮影した安倍明恵氏を攻撃している。

 

本当に、ほんとうに、ホントーに、こんな野党はいらない。

こんな連中全員を、武漢肺炎の本拠地、中国武漢市に強制移住させたいものだ。

Japanese shall overcome Wuhan Virus.

地上波テレビは、ほとんど見なくなった。

それでも、夕食時のNHK天気予報と、それに続くニュースは必ず見る。

その後の衛星フジテレビのプライムニュースは、MCの反町理が好きなのでよく見る。

ゴールデンタイムと言われても、民放のバカ番組には全く無関心になった。

各局のワードショーに至っては、見ると吐き気を催す。

大袈裟だと言われるかもしれないが事実で、特にテレビ朝日、TBS、フジテレビ、日テレは、カネを貰っても見る気にならない。(全部ヤナイカ!のツッコミ)

我ながら数年前まで、朝からこんなインチキ情報垂れ流し番組を見ていたことが、情けなくて仕方がない。

 

ただ全局とも、スポーツのライブ放送は良く見る。

そこには、少なくとも恣意的なウソはないし、プロフェッショナル達が鍛え抜かれた技術を披露すると、単純に感動するし、拍手を送りたくなる、

スポーツ番組は、ライブでなくても、再放送でも充分面白い。

拠って最近では、ケーブルテレビのスポーツ放送を見る機会が増えていた。

 

ところが、そんなスポーツ番組に、大異変が起きている。

先の大相撲春場所もそうだったが、ライブ放送の場合、無観客試合ばかりなのだ。

これは、日本だけではない。

サッカー、ラグビー、野球、バスケットボール等々、そしてゴルフまで、あらゆる国で開催されているスポーツは、全部が無観客試合だ。

偶に、観客のいる試合が放送されていると、それは全て昔の録画であり、本来の試合が延期になったり中止されたりして、その穴埋めに放映されているものだ。

 

スポーツだけではない。

観客がいる催し物は、世界中を探しても、どこでもやっているところなどない。

芝居もオペラも、全部中止されている。

これは、世界経済にとって由々しき事態で、ただ事ではない。

人が集まらないのだから、経済活動は低迷する。

集まってくる客を当てにした店々やホテルは、商売上がったりで閑古鳥が泣いている。

その会場まで客を運ぶ交通手段もまた、全てが開店休業状態となる。

東京オリンピックの延期など、その最たるもので、世界中から集まって来るはずの観客がいなくなったのだから、経済的ダメージの大きさは計り知れない。

しかもこの問題は、何時になったら解決するのかの目処が立っていない。

まるで暗闇の中を、手探りで進んでいる状況だが、どこまで暗闇が続いているのかが分からないので、不安感ばかりが募ってくる。

世界中の誰もが、今、そんな気持ちになっている。

 

しかし日本人諸君、案ずるなかれ!

この武漢肺炎の、中国での発症が発覚したのが11月で、中国政府が認めたのは1月。

その直後は、イギリス国籍のクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号が日本に入港したため、日本は中国と並んで武漢肺炎の巣窟扱いされた。

当時のヨーロッパで、日本人が「コロナ、コロナ」と迫害されたほどだった。

しかしその後のパンデミックで、世界中が周章狼狽しているが、我が日本ではオーバーシュートは避けられている。

まさしく文字通り「持ち堪えている状況」ではあるが、諸外国に比べれば、武漢肺炎への対処は、上出来も上出来なのだ。

 

ヤフーニュースで、ポルトガルで活躍中のサッカー選手中島翔裁が、「日本と西洋の違い」について語ったことが話題になっていることを知った。

中島は「日本では、帰宅後のうがいや手洗いは当たり前のこと」と、現地との生活習慣の違いを指摘したらしい。

武漢肺炎パンデミックで慌てふためく国々と、日本とでは、健康に対する文化そのものが根本から違う。

また日本人は、一旦ことあれば、打って一丸となって困難に立ち向かう。

細かいことだが、ゴミの分別収集などを当たり前のようにこなすことが可能な民族など、日本人以外にはいない。

 

我々日本人は、必ず武漢肺炎を克服できる。

我々日本人は、こんな衛生的で清潔な国で生活できる幸せを、噛みしめて生きるべきだと思う。

母親の命日

3月28日は、母親の40年目の命日だ。

 

母は69歳と8日目に、脳腫瘍で死んだ。

当時の平均寿命でも、早死の方だった。

母にとっては、生まれて初めての入院だったが、発病してわずか三か月後に、あっけなくこの世を去った。

僕はある地方都市に住んでいたが、兄から「オフクロガ死んだ」と訃報連絡があっても「どこのオフクロ?」と聞き返したほど、最初は何が起きたか理解できなかった、

 

検査後に、医者から余命三か月、手術をしても半年と宣告された。

家族は「どうせダメなら本人に辛い手術は避けたい」と願ったが、医者が「しかし手術で寿命が延びたはずの三か月で、劇的な薬が開発されたら後悔しますよ」と脅した。

そこまで言われると、それでも手術を嫌だとは言いにくい。

しぶしぶ手術に同意したが、結果は半年どころか、三か月で逝去してしまった。

病院から「医学発展のために献体して欲しい」と依頼されたが、医者に不信感を持っていた父は、「オマエらのようなヤブ医者に、大事な妻の遺体を渡せるか」と拒否した。

後に父は、「献体するべきだったのか、自分の判断は間違ったのか?」と自責の念に駆られたが、家族は全員、父の判断を強く支持した。

 

実は僕にとって、家族と別れる経験は、母の死が最初だった。

この時は、世の中にこんなに悲しいことがあるのかと思うほど、嘆き悲しんだ。

しかし、火葬場で母親の遺体を焼く煙を見た時、そんな哀しみが煙と一緒に空に昇っていくような錯覚を覚えた。

当時の火葬は、煙突から煙が立ち上るような、牧歌的なものだった。

 

僕はこの時、人間には悲しさや苦しさを忘れる能力が備わっていると確信した。

家族を失うような辛い悲しみを、忘れずに覚え続けていたら、その後どうやって生きていくのか分からなくなる。

しかし、そんな悲しみを忘れることで、新しい人生に挑戦できる。

 

無論、母や家族のことを忘れることはない。

折に触れ、今は亡き両親や家族の思い出が蘇るし、両親からの教えはしっかりと記憶に残っている。

しかし、生きていくためには、何時までも悲しんではいられないのだ。

人間は生まれながらに、どんなに悲しいことでも忘れ去り、そこから立ち直る能力を与えられている。

「敬虔な無神論者」の僕が言うのもおかしいが、それは神様の思し召しだろう。

 

母の死後、五年で父が、その後、姉二人も逝去して、七人だった我が家族は、今やオトコ兄弟三人が残るだけとなった。

今年の正月にもお互いに連絡をとり、「残った三人で協力して、仲よく生きていこう」と誓い合った。

 

死は、何人たりとも避けられない。

結婚で新たな家族となった妻の実家も、両親共に逝去した。

こちらは、義父はほぼ90歳、義母はほぼ100歳と長寿を全うした方だが、それでもやはり両親が死んだ時の空虚な思いは変わらない。

しかし例え、死によって別れ別れになっても、家族として共有した経験や思い出は、いつも心に残っている。

 

家族のつながりは、生活を共有するだけではなく、心を共有することであり、それは肉体が消滅しても永遠に残り続ける。