瘋癲老人の徒然ない想いを綴った日記!

元は平凡な企業戦士、現在は敏腕リタイア老人の日常報告

共産党志位委員長の長期政権から見えるもの

日本共産党大会で、志位和夫が委員長に再選された。

正式には日本共産党中央委員会幹部会委員長だが、何であれ20年の長期政権になる。

尤もこの間、一度たりとも委員長選挙があったわけではない。

そもそも最初から、不破哲三や党幹部からの指名で選ばれたエリート幹部で、他に競争相手などいなかった。

そこから20年間、全く無投票、無競争で選ばれ続けたことになる。

日頃は政府自民党や安倍政権に対して、口汚く長期政権の弊害を罵っているのに、記者会見で自分の長期政権を指摘されると、志位はさすがにしどろもどろだった。

 

これは別に、日本共産党に特異な現象ではない。

共産主義国家が存在したころは、世界中で当たり前に起きていたことだ。

共産主義国家でリーダーが変わるのは、内部権力闘争のクーデターの結果だけであり、それまでのトップは、政変の時点で間違いなく殺されていた。

共産主義国家は共産党独裁なのだが、厳密に言えば、その時の代表者の独裁であり、政敵の存在や一切の批判が許されないのだ。

 

そもそも、共産主義は民主主義を否定している。

共産主義は、資本主義は矛盾に満ちた体制であり、唯一、社会主義を経過した共産主義だけが、その矛盾を解決できるとの基本的思想に立っている。

共産主義者が頻繁に使う、「歴史の歯車」論がそれで、その歯車を正しく前に回しているのが共産主義者で、逆に回すのが反革命分子との見立てだ。

反革命分子は、歴史を逆回転させるのだから、これを許してはいけない。

更に進んで、反革命分子を許せば革命を妨げ、その後の支配体制に禍根を残すので、積極的に殲滅しなければならないと、反革命排除の論理純化していく。

共産主義者たちが、自分たちの反対勢力に情け容赦ない暴力を用いるのは、このような理論的裏付けからで、これは沖縄辺野古埋め立て反対闘争でも頻発している。

 

民主主義はこうではない。

あくまで多数決に従い、多数派の意見を遂行していく制度だが、一方では、常に選挙で政治体制を変えることができる。

選挙で代表者を決定ずる選択こそが、国民の最大の意思表示になっている。

その為に、民意を失うと政権を維持できないし、自らの政策も実現できない。

 

民主主義と共産主義は、決定的に且つ根本的に違う制度なのだ。

だから共産主義を奉じる共産党が、「民主主義云々」と御託を並べるのは噴飯モノで、実は天に唾しているのと同じことだ。

共産主義者共産党も、「民主主義云々」は選挙対策用で、実は共産主義を覆い隠す隠れ蓑に過ぎないことは十分承知している。

そもそ日本共産党は当初、暴力革命を目指し、火炎瓶闘争などを展開した。

 

マルクスはドイツでの革命を夢見ていたが、初めて共産主義国家が生まれたのは遥か発展途上国帝政ロシアだった。

毛沢東は、「銃口から権力が生まれる」との暴力路線で中国革命を成功させたが、これも実際は農奴解放運動に近い。

しかし先進諸国では、共産主義革命が成功した例がない。

そこで日本共産党は暴力革命を諦め、議会で多数派を握る平和革命路線に切り替えた。

しかし万一にでも、議会で共産党が多数派になれば、衣の下の鎧は共産主義革命なのだから、共産党支配が現実になり、違う意見は暴力を使ってでも徹底的に排除される。

 

志位和夫が、20年に亘って共産党委員長を続ける体制は異常だが、それこそが共産党の体質そのものなのだ。

志位和夫だけでなく、その前任、不破哲三、宮本顕二など、委員長選挙など一度として行われないことへの、日本共産党員やそのシンパからは一切の疑問も不満もない。

これは実質的に、洗脳状態の宗徒と一緒だ。

共産党員は、共産主義と言う宗教を盲信しているので、仮に選挙で自分たちが有利な状況になった場合は、その後に何をしでかすか分からない。

 

だから、共産主義者が一見平和主義を装う些細な日常活動にも、民主主義陣営は全神経を配っているべきなのだ。

共産主義は、民主主義とは全く相いれない全体主義だ。

ラグビーのトップリーグとM1予選

昨年秋からのラグビーファンなので、文字通り、バリバリの俄か仕立てだ。

しかしそこは、「他の普通のファンとは違うぞ」との気概、と言うよりも気負いに近いが、「プロの俄かファン」を名乗ってきた。

そこで、普通のファンとの差別化の意味で、1月に始まったトップリーグも、可能な限りテレビ観戦をすることにした。

 

そこで気が付いたが、このトップリーグとやらは、結構面白い。

リーグの仕組みなどは未だ分かっていないが、7か月間のプール戦の後、8月にプレイオフと決勝戦があるらしい。

漏れ聞くところでは、16チーム中下位四チームは入れ替え戦もあると言う。

今年は、夏にオリンピックもあるので、少々変則日程になるかもしれないが、秋口までは楽しむことができる。

という事は、年末には、「俄か」がとれた、「真のラグビーファン」に生まれ変わっているかもしれない。

楽しみなことだ。

 

このトップリーグを見て思ったのだが、やはりワールドカップに比べると、ややプレイの質は劣っている。

ラグビー醍醐味の、トライ直前の押し合いへし合いでも、W杯より些か迫力がない。

一番の違いはトライ後のキックで、W杯ではどの角度からもほとんど成功すると思って間違いないが、トップリーグでは、難しい場所からは半分以上が失敗している。

マァ、世界の最高峰のプレイと、極東の地方リーグを同一視することはできないだろうし、学生リーグに比べれば、トップリーグの選手層は圧倒的に厚い。

四年後のW杯を楽しみに、それまでラグビーファンを引き付けるには、トップリーグはうってつけだ。

 

ただ改めて、W杯に選抜された代表選手の抜きんでた能力には、敬意を表したい。

W杯戦士31名に選ばれることだけで如何に名誉なのかは、トップリーグでプレイする選手たちを見るとすぐに分かる。

前回のW杯では、第二次候補者は47名で、更に最終選考で31名に絞られた。

二次選抜の47名でも超狭き門なのに、そこから次に進めず、W杯の晴れ舞台に立てなかったのが三分の一、16人もいるのだ。

 

つい先週引退試合を行った、トンプソン・ルークを紹介した一時間番組を見た。

過去三回のW杯に出場してきたが、年齢的にも今回が最後のW杯。

ルーク選手はその出場を目指し、一か月間に亘る「地獄の宮崎合宿」に耐えたと言う。

そして首尾よく、四大会連続のW杯出場が決まったのだが、彼はその時の感想を「嬉しかったけど、悲しかった」と表現した。

「自分も最後だから、絶対に出たかったので嬉しかったが、自分が選ばれたことで仲間が出場できないことが悲しい」と言うのだ。

自分でなければ彼だったと、具体的な名前を挙げ、そのオトコの人柄を誉めていたが、だからこそ、ルーク選手のW杯での大活躍があったのだと、ルーク選手の人柄の一旦を知り、年甲斐もなく感激した。

こんなトップリーグを支える多くの選手や、そのトップリーグを目指すもっと多くのラグビー選手たちの、毎日の鍛錬と努力が、昨年爆発した俄かラグビー人気だと思う。

日本でのラグビー人気の定着を、願ってやまない気持ちになっている。

 

もう一つ、ケーブルテレビを見ていたら、2019年M1グランプリの予選大会と敗者復活戦の放送をやっていた。

M1グランプリでは、ミルクボーイが優勝し、かまいたちが準優勝で終わった。

僕は最後の演目だけを見て、両方とも大笑いで、さすがにM1決勝戦と感心していた。

ところが予選大会に出てくる漫才コンビは、どれもこれも名前すら聞いたことがない。

しかも出てくるコンビが、悉く面白くない。

笑うはずの漫才を見ていて、むしろ哀れを誘う気分になり、気が滅入ってしまった。

さすがに敗者復活戦にもなると、テレビ的にも面白さが伝わるが、その分、予選漫才グループとの差が際立ってしまう。

実際に、第一線で活躍している漫才師などはほんの一握りで、大半はアルバイトをしながら、お笑いの芸を磨いていることを知った。

 

そう思ってみると、どの世界も、サラリーマンの世界だって、他人に認められるまでには、人知れぬ苦労の積み重ねがあるものだ。

ところが、どんなに苦労しても、必ずしもそれが報われる保証はない。

人間は、数少ないその栄光を目指して、必死に足搔き続けている。

一見華やかな舞台の裏側には、最も人間臭い汗と涙が流れている。

だからこそ、ごくわずかの成功した人が、称賛され、憧れの対象になるのだろう。

 

アホ政治家、原口一博

韓国の政治家には、碌なヤツがいないと思っていたが、日本にも負けず劣らずのアホ政治家がいる。

佐賀県選出、国民民主党原口一博がそれだ。

 

このオトコ、昔からよくテレビに出ていた。

北野武が司会する、コメディー調の政治討論番組の常連さんで、そこでは野党議員にしては、少々与党にも理解があるようなスタンスぶりを発揮していた。

左右対立意見には、両論を足してやや左側に寄せた纏め方をするのが得意だったので、番組構成上は使い勝手の良い政治家だった。

 

この原口は、小池百合子を凌ぐほどの政界渡り鳥で、共産党以外のほとんどの政党を渡り歩いてきたが、政治家の駆け出しのころは、何と自民党にも所属している。

目鼻が利くと見ることが出来るが、普通には、節操がない政治家の一人だ。

また民主党政権下で国交大臣を務めた時、二度に亘って遅刻事件を起こしている。

いずれも原口のだらしなさを露呈したものだが、僕は個人的に、この原口の遅刻癖で迷惑を被ったことがある。

原口が大臣だった当時、東京から福岡行きJAL便に搭乗していたが、出発時間になってもドアが閉じない。

「お客様をお待ちしています」との機内アナウンスが流れた15分後、原口がノソッと搭乗してきて、やっと出発することになった。

JALが一方的に、大臣に気を利かせたのか、原口が職権乱用したのかは分からない。

だが、このオトコの所為で、他の乗客が全員、大迷惑を被ったのは事実なのに、本人には全く謝罪の雰囲気はなかった。

 

そんなバカ政治家の原口は、現在は国民民主党国会対策委員長の要職にある。

このオトコは、軽薄なくせに目立ちたがりなので、何か発言すると途端に物議を醸す。

つい先だって、「中国は民主国家」とツイートして、大炎上した。

 

全く異質の事を共有しようと言っているのではありません。中国も民主主義国家です。一党独裁ではないかとの私の問いに共産党一党独裁ではない、他にた6あると答えてくれました。彼らにも人権を守る姿勢があります。それを貫いてくれる事を期待しているのです。私と共に中国の友人と話されませんか?

 

さすがに批判が集中したので軌道修正を図ったが、政治家は言葉が命。

ありがとうございます。 私の書き方が間違えていますね。「一党独裁ではないか?」という私の問いに「中国は、民主主義国家です。中国共産党の他に6党ある。」と答えました。その6党も中国共産党の政策には反対しないと言うのですから私達のいう民主主義とはそもそも定義から違うのだと思います。

原口は天子には程遠い俗物だが、「綸言汗の如し」。

 

そして直近では、立憲民主党と国民民主党合併延期を受けての発言がまた酷い。

 

国民民主党両院議員総会を開き、立憲民主党との合流協議を継続する従来の方針を確認した20日、国民国対委員長原口一博衆院議員(佐賀1区)は「合流を後戻りさせないということが確認できた。一歩進んだ」と肯定的に評価した。立民幹事長代理の大串博志衆院議員(佐賀2区)は「国会開会までの合流が実現しなかったのは残念」と話し、今後の協議を注視する考えを示した。

総会は非公開の議員懇談会に切り替えられ、合流の基本合意を求める決議案が提示された。議案として取り扱うかどうか採決した結果、否定的な意見が多数を占めた。原口氏は総会後、「合流は早いほうがいい」との考えを改めて示した上で「合流を後戻りさせないのであれば決議案は必要ないと申し上げた。合流に一歩進んだと思う」とした。
 

何と能天気は見方だろう。

無論、国民民主党国会対策委員長の立場なので、言いたいことが言えない事情はあるかもしれない。

しかしそれを斟酌しても尚、今回の合併劇が不調に終わったことを「一歩進んだ」とは、国民を愚弄した発言でしかない。

そもそも、この合併には、何のための合併かの大義名分がない。

「与党と対抗するためには野党は大きな塊で」との精神論だけで突き進んでいるのだが、では何故、こんなに分裂しているのかが説明できない。

 

両党の政治家には、合併交渉が不調なことへの、真摯な総括が求められている。

しかし原口のように、何時までも責任逃れの進軍ラッパを吹いているだけでは、リーダーとしては失格だし、合併そのものが上手くいくはずがない。

無論、こんな原口のような政治家が、幹部として居座っているのだから、野党が政権奪取などできることもない。

改めて、原口のTwitterをみると、Twitter中毒と自称する高須クリニック高須克弥院長以上のツイートぶりだ。

本人には、有権者をつなぎとめる有力なツールなのだろうが、政治家とは、斯くも暇なモノかと思ってしまう。

ハリー夫妻とイギリス王室の大騒ぎから学ぶこと

嫁さん次第で、オトコは変わる。

世界的規模でそれを証明しているのが、イギリス王室の大騒ぎ振りだ。

日本のワイドショーでは、全く我が国の経済にも外交にも影響を与えない、このハリー王子の王室離脱問題を、積極的に取り上げているようだ。

 

そもそもイギリス王室は、チャールズ皇太子がダイアナ妃と結婚した時から混乱が目立っていた。

後に判明するが、亭主は結婚後も、結婚前の恋人と不倫関係を続け、嫁の方は、腹いせのように浮気を繰り消していたらしい。

結局は、王室伝統を壊す形で、この二人は離婚。

亭主は不倫相手と再婚し、嫁はその後、新しい彼氏と一緒の所をパパラッチに付きまとわれ、自動車事故で死亡。

仮面夫婦だったそんな二人の間にできた子供が、ウィリアム皇太子とハリー王子だ。

幼いころから、両親の夫婦関係が致命的に破綻していたことは、子供たちに良い影響を与えるわけがない。

それでもこの兄弟は、傍目にも「とても仲が良い」とみられ、実際にも、お互いを助け合いながら生きてきたので、イギリス国民からは慕われていたらしい。

僕は、ウィリアム皇太子の嫁、キャサリン妃が、この二人にインタビューするビデオを見たことがある。

キャサリン妃の、「貴方たち二人は本当に仲が良いけど、それはお母さんの影響なの?」みたいな質問に、二人とも「Yes.」と答えていた。

この頃は、いずれはイギリス国王になる皇太子と、それを助ける弟の、麗しい兄弟愛と映っていたものだ。

 

しかし、弟がアメリカ人女性と結婚して以降、雰囲気が変わってきた。

どうも、嫁がイギリスで差別されたことを、夫婦揃って我慢できなかったようだ。

少しでもイギリスを知る人にとって、ハリーの嫁、メーガンがイギリスで差別されたことについては、宜なるかなと納得する。

イギリス人には、現在も貴族社会意識が強く、階級社会の残渣が残っているからだ。

そんな古色蒼然とした国が、黒人の血が混じった元映画俳優のアメリカ人の嫁を、温かく迎えるはずがない。

それこそ一挙手一投足、箸の上げ下ろし、イギリスだからスプーンの上げ下ろしまでイチャモンをつけるはずだ。

だからハリー夫婦が、「そんな国は御免だ」と、王室離脱を決意したことは、まるで無関係な僕でも理解できる。

 

しかし報道によると、ハリー氏は王室業務には未練があったらしい。

それまでの仕事を捨ててまで、嫁と共に生きると決心したにしては、何とも潔くない。

イギリス王室からの全ての支援を断り、二人で生計を立てる覚悟があれば、世間の目は優しくなり、二人で立ち上げたニューブランド商品も好意的に受け入れられる。

ここでゴタゴタと、優柔不断な態度をとることは、この二人の門出にそぐわない。

もしも僕が、この二人のアドバイザーならば、「ここは一番、やせ我慢」と教えるが、果たしてどうなることやらだ。

 

むしろ、我々が問題視するべきは、日本の皇室の方だ。

日本の天皇家は、昨年の新天皇即位以降、天皇、皇后が一緒になって、積極的に公務をこなす姿が目立つようになった。

それと共に、一時期溢れかえっていた現皇后陛下へのバッシング報道が、全く消えていった。

しかしその一方、今度は次男、秋篠宮家への悪意ある報道が増えている。

その中には、次の天皇陛下と目される秋篠宮家長男への、様々な情報も含まれている。

 

開かれた皇室は、象徴天皇の代名詞ともなっている。

しかし、「開かれている」のと、皇室のプライバシーをも暴き立てるのは、全く違うことだ。

マスコミが、次期天皇候補者の資質に問題があると煽り立てても、日本国民に他の選択肢があるわけではない。

仮にそうだとしても、それは秋篠宮家と宮内庁で解決するべき問題で、マスコミが面白おかしく騒ぎ立てるべきではない。

イギリス皇室を巡るバカ騒ぎは、彼の国の出来事だから、結末がどうなったって構わない。

しかし我が国にとっても、以って他山の石!

国民の知る権利などとは別次元で、静かに日本の皇室を見守り続ければよい。

 

ただ一つ、今回のハリー夫妻問題で参考になる部分がある。

それは、結婚相手が皇室にふさわしい人物か否かが、マスコミの格好の報道ネタになっている秋篠宮家長女の結婚問題だ。

若い二人は依然として、結婚の意志が強いとも言われる。

ならば、ハリー夫妻を見習い、皇室を離脱して結婚すれば良い。

皇室さえ離れれば、誰が誰と結婚しようと、それは全くの自由だ。

家庭で反対の多い結婚でも、それを貫きたいのなら、若い二人の行く末を邪魔する必要はないが、一方では努々、皇室からの援助など期待するべきではない。

どうでも良いハリー夫妻の行状も、日本皇室の前例と見做せば、行く末に興味が湧いてくる。

フィクションの世界

NHKテレビを見ていたら、やたらと「麒麟がくる」の番宣が流された。

この番組が、1月18日に放送開始されるらしいから、関心を煽っていたのだろう。

主役は明智光秀なのは、その番宣だけで分かった。

 

明智光秀と言えば、主君、織田信長を本能寺で殺した、逆臣の代表として知られる。

織田信長豊臣秀吉が活躍する番組では、基本的に「時代の流れを読めない小心者の悪役」として描かれる。

しかしNHK大河ドラマでは、明智光秀側から見た物語なのだろう。

恐らくは、上司のパワハラに耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながらも、最終的に主君暗殺への走らざるを得ない、自らの信念との葛藤が描かれると思われる。

 

歴史上の人物評価など、書く人、作る人の立ち位置、考え方次第で、どうとでも変わってしまう。

たまたま最近見た、中国歴史ドラマの「如懿伝」と「瓔珞」がそうだ。

中国歴史ドラマは、ほとんどの作品がNHK大河ドラマ以上の長丁場モノだ。

しかも大半は、歴史的に実在した王朝の皇帝と、その妃嬪たちの激しい権力争いが主なストーリーとなっている

「如懿伝」は全87話で制作費96憶円の大作だ。

「瓔珞」もまた、全70話で2018年香港視聴率№1になったが、内容が中国共産党の逆鱗に触れ放送中止になっている。

今の香港対中国共産党の、民主化を巡る争いの先駆けにもなった、曰く付き作品だ。

 

いずれも、時期も舞台も全く同じ。

中国清王朝時代で、六代皇帝、乾隆帝を巡る、皇后や妃の間で繰り返される、陰湿な足の引っ張り合いが延々と描かれている。

一応は歴史的事実に基づき、それをドラマ風に脚色したものなので、皇帝、乾隆帝の即位過程や、最初の皇后、二番目の皇后などの登場人物は、両作品ともほぼ同じだ。

ところが、その人物設定が全く違う。

「如懿伝」の方は、主役の如懿・燗妃は、性格円満、非の打ち所がない女性だが、そのライバルの皇后・富察は、一見しとやかさを装いながら、実はライバルを潰すために策を巡らす悪女として描かれている。

ところが「瓔珞」になると全く逆で、富察は完全無欠な性格の皇后で、常に瓔珞を助ける数少ない理解者だが、燗妃は腹黒の策士となっている。

実際には、両方とも誠実さなど欠片もないような人物だったのかもしれないが、物語に描かれるとこうなってしまう。

 

先の、明智光秀の歴史評価と一緒だ。

明智光秀を良く描こうとすれば、織田信長豊臣秀吉に欠陥があったと見ざるを得ないし、逆に逆臣とすれば、信長は悲劇の権力者になるし、秀吉は主の敵を討ったちっやく溢れる謙臣になる。

しかし今となっては、本当のところは、誰にも分からない。

 

いずれにしても、歴史は時の為政者によって、都合よく書き換えられる。

同様に、歴史小説やドラマもまた、作者の主観でどうとでも描かれる。

だから我々は、テレビや映画の人物像を信用するべきではない。

 

作品を読み終わったり見終わった次の瞬間には、全てを忘れてしまうほどで丁度良い。

あるバアサンの所作振る舞い

もう、60年以上も前の話だ。

毎年お盆の頃に、我が家を訪ねてくるバアサンがいた。

うちの家族とそのバアサンとは、どんな関係なのかは知らない。

しかし、定期的に行き来する、親類縁者ではないことは確かだ。

それでも毎年決まってお墓参りにくるので、子供心に不思議な人だなと思っていた。

 

このバアサンは、実に慇懃な人で、小学生の僕にも丁寧な挨拶を欠かさない。

余りに丁寧なので、僕の兄は却って恐縮し、苦手意識を持っていたほどだ。

慇懃なのは、挨拶だけでない。

当時は扇風機もない時代で、涼を取るのは専ら団扇だったが、このバアサンは、来客用に宛がわれた団扇で僕たちを扇いでくれる。

お客さんにそんなことをされると、ガキとは言え身の置き場に困る。

早々に遊びに出かけたものだ。

 

このバアサンは、帰りしなもまた、必ず丁寧なお礼を言う。

両足がやや開き気味で、膝を少し曲げ、やや半身の姿勢で、且つ囁くような小声で、

「今日は、お世話になりました、ありがとうございました」

と挨拶をして、どこぞの自宅に帰っていくのが毎年の恒例だった。

 

そんな光景が、我が家で60年ぶりに再現された。

僕の日常は、夜9時に自分の部屋に上がり、10時に就寝と、測ったように健康的な生活を送っている。

その自室に引き上げるタイミングで、フト妻に、このバアサンの挨拶を真似てみた。

格好もバアサンさながらで、小声で

「今日はお世話になりました、明日もまたよろしくお願いします」

とふざけてみた。

 

すると最初は、「何々、何言っているの?」と驚いた妻だが、次の瞬間、大笑いのバカ受け状態になった。

まさか、夫がそんな感謝の言葉を口にするとは思っていないし、その恰好が、将にどこにでもいるバアサンに似ていたらしく、スッカリお気に入りになったようだ。

 

翌日からも、「あれ、やって」と催促してくる。

僕も、全くの物真似「芸」だし、出し惜しみするような代物でもない。

「ジャァ、夫婦喧嘩をしなかった日は、バアサンの挨拶する」と約束したが、妻は「我々の夫婦喧嘩は表面的なもので、本当は仲がいいのだから、夫婦喧嘩をした時もやって欲しい」と更に要求レベルを上げる。

 

考えてみれば、僕の年代で夫婦喧嘩をすると、仲直りのチャンスが中々巡ってこない。

例え喧嘩しても、こんなバアサンの感謝表現で仲直りができるのなら、一石二鳥だ。

という事で僕は、連日バアサンの挨拶の真似事を繰り返すことになり、その度に妻は、笑い転げている。

 

年寄りは、伊達に生きてきたのではないので、一挙手一投足に味がある。

しかしそれでも、毎年我が家を訪ねてきたバアサンは、自分の所作振る舞いが、60年後の夫婦相和しに役立っているとは思わないだろう。

外国語のお勉強

外国語を身に着けると、一気に世界が広がる。

一説には、英語さえ出来れば、ネット経由の情報量は四倍増えると言われる。

 

僕はそのことに気が付くまで、55年もかかった。

その為、押っ取り刀で駆けつけるように英会話を勉強しても、上達は思うに任せない。

今となっては反省至極だが、それでも少しでも英語でコミュニケーションが取れるよう、自分なりに努力を続けている。

 

僕が高校生の頃、旺文社発行の「赤尾の豆単」は、受験生必須のベストセラーだった。

そして隣のクラスの某君は、この「赤尾の豆単」の単語を全部覚えていた。

ところがその某君は、英語の点数が全くパッとしない。

僕は、それが絶対に信じられなかった。

僕の英語の点数が悪いのは、単語を知らないからで、単語さえ分かれば英語なんてチョロいものと確信していたからだ。

 

ところが、学生時代の第二外国語だったドイツ語をやってみて、この「単語を知っていても、英語ができない」某君の悩みが、始めて理解できた。

初歩的知識すら身につかず、文章の全ての単語をドイツ語辞書で調べても、日本語の文章に組み立てることができない。

文法が分かっていないと、単語の意味の無数の組み合わせが発生するので、全くチンプンカンプンの日本語になる。

何とか単位はとったものの、卒業後もしばらくは、「ドイツ語を勉強しなければ」と、悪夢を見るほど悩まされた。

 

ところがそんな僕だが、共産主義者のバイブルとも言われる、Kirl Marx(カール・マルクス)の「DAS KAPITAL資本論)」は原語で読んだ。

僕の、ドイツ語に関する唯一の自慢だ。

 

そう言うと、大半の人が驚く。

日本語の資本論すら、読んだ人は少ない。

ましてや、ドイツ語が全くダメだった僕が、「DAS KAPITAL」を原語で読んだなど信じられないから、単に驚くだけでなく、その瞬間から尊敬の眼差しが加わる。

この話を聞いた人に、羨望と敬意の表情が浮かぶのを見るのは、実に楽しい。

 

実は、この話はウソ偽りのない事実だ!

 

但し、ネタ晴らしをすると、僕が読んだのは、本のタイトル「DAS KAPITAL」だけで、その内容は、日本語でも訳が分からないので、最後まで読んではいない。

と、そこでやっと「そうだろうな、そんなはずないと思ったよ」と、全員が納得する。

 

当たり前だ。

知っているドイツ語と言えば、「ダンケ」「モルゲン」ぐらいで、後はドイツの地名と人名程度なのに、専門書など読めるはずがないし、読む気もない。

要は、いかにドイツ語ができなかったかを伝えている小話なのだが、その割には多くの人がびっくりする。

 

ただ、外国語ができると楽しい。

昨年全英女子オープンに優勝した渋野日向子は、優勝スピーチを英語でやった。

恐らくは、カタカナ書きのメモを読みながら「Would you please」と感謝の念を述べたと思われるが、外国人の彼女への印象はグッと上がったはずだ。

上手い、下手ではない。

コミュニケーションを取ろうとする姿勢が、見知らぬ外国人を安心させるのだ。

ドイツ語はサッパリだった僕だが、せめて英語では紅毛碧眼の異星人を相手に、我が想いを伝えたいと思っている、