昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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差別について

実は神様は、我々全員を本当は平等に扱っているのではないだろうか。
そうとは気づかない浅はかな人間が、浅知恵で持って、「やれ差別は駄目」だの、「絶対平等」だのと騒げば騒ぐほど、悪平等がのさばっていくのではないかと思う事がある。

会社の事業において、差別は悪い事でなく、むしろ、「差別化の推進」を標榜し、他社、他分野よりもより優れた商品の開発に必死の努力をしている。

いけないのは、全く根拠のない理由で、人が自由に、人間としての権限を持って生きていく事を邪魔するような差別であって、これは絶対に許してはいけない。

女性を差別してはいけないのは当たり前。
しかし、男女雇用機会均等法で女性を夜遅くまで働かせるのが、本当に男女平等を進めるのか?
こんな法律の恩恵に浴する女性なんて、ほんの少数でしかない。
多くの女性は、転勤が困難だったり、深夜業務が危険だったりで、男性と同じ業務をこなすのは無理がある。
タジマヨウコなら、「だから女性が働けるような環境を作らなければならない」と主張するだろう。「オトコはオンナを家に閉じ込め、家事を押し付け、オンナの自由を奪っている」とも主張していたが、ホンマかいな?
だって、男は逆立ちしても子供を産めない。絶対に母乳は出ない。生理学的に見ても、子供を産み、育てるのは女の役割のはずだ。
女が子供を産みたくないというのは、男が働きたくないと言うのと同じでこの世の中への由々しき反抗だと思う。

女性は、もって生まれた素晴らしい特性があり、充分に尊敬される存在だから、オトコと肩を並べて頑張る必要はないのである。

我が家では、一見僕が威張っているように見えるが、実は、妻即ち母親が一番偉い存在である。僕の両親の関係も実はそうだった。
子供達は、オヤジなんてほとんど無視しているが、母親とはコミュニケーションが成立している。
我が家での僕は、明らかに母親に比べ、子供達から差別された存在である。

多くの場合、世の中は、実は女性を中心に回っているのである。
神様は、せめて男女のバランスをとるために、オトコどもに、表面的だがほんの少し威張れる環境を与えているのではないか。
神様の摂理を、あるいは自然の摂理を、人間が浅知恵で動かすのは危険だ。僕はそのような気がする。