昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「鍵っ子」ならぬ「鍵オヤジ」族

四十年ほど前、日本が高度成長に浮かれ始めた頃の若夫婦は共稼ぎが当たり前になり、子供が学校から帰っても母親が家にいなくなってしまった。
子供たちは、無くさないように、母親から家の鍵を首にぶら下げられた格好で外で遊んでいた。
そんな子供たちを世間は「鍵っ子」と呼び、家庭のあり方が社会問題となった。

最近になって、五年前までならほとんど街中で見かけなかった光景がありふれた物となってきた。
「鍵オヤジ」族の出現である。
ポータブルヘッドフォン族は二十年ほど前から、携帯電話族はこの十年で、飛躍的増加という言葉では足りないほどの大量に蔓延ってしまったが、鍵オヤジ族も、結構密かに増殖している。

鍵オヤジ族とは、首に会社のICタグをぶら下げている連中である。
ICタグは元々外資系の会社から始まった物らしいが、今や多くの会社で、出入者チェックをする事で会社の機密保持の機能を果たす重要な備品となっている。
アメリカ映画では、コングロマリット企業の超エリート企業人が、重役会議に臨むシーン等で会議室の入り口をピッと押していた。日本でも、流行始めの頃は、颯爽とした男女が、入社の際にピッと押し付ける様がカッコ良かった。
しかし、今や猫も杓子もピッであり、果ては僕のような中高年黄昏族までが所有するなど、全く普通の物となっている。
鍵オヤジ族はどこに行く時も首からICタグをはずす事はない。自分と一体化しているようにも見えるが、実際は鈍感になっているので、自分が鍵オヤジ状態である事の自覚がないだけ。

首からブラ下げスタイルは、若い人には比較的少ない。圧倒的に、中高年黄昏族に多い。
考えてみれば不思議でも何でもない。
中高年黄昏族は、置き場所をすぐ忘れてしまうので、首にかけておくのが一番良い。
遥か昔、幼稚園や小学校にバス、電車で通う子供は、紛失防止の為に一様に首に定期券をかけていた。
首にかけられたICタグを見るたびに、だんだん子供と同じになっていく中高年黄昏族の哀愁を感じてしまう。

若人は、紐の部分にも個性を主張し、高級ブランド品を購入した時の結びテープ等で工夫したり、専用のブランド品まで身につけたりしているが、中高年黄昏族は、会社から支給された、決して品があるとは言えない赤や緑や青の原色系統をそのまま使用している。
こんな所にも、若人との拘りやセンスの差が出てしまう。

鍵オヤジ族は、首にICタグをぶら下げている事に、何のテレも痛痒も恥ずかしさも感じていない。
無論、昔の鍵っ子と違い、誰からか同情してもらうなんて事はありえない。
鍵っ子経験のあるホンの少数の人だけが、母親の帰りを暗くなるまで一人で待った昔の切なかった気持ちを思い出し、フッと苦笑するだけだ。