昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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嘘をついた罪を生涯かけて償った人がいる。

ジョン・プロヒューモが2006年3月享年91歳で死んだ。
所謂、プロヒューモ事件の発端は1962年12月に発生した、コールガールのクリスティーン・キーラーを巡っての銃撃事件だった。
そして、主役のプロヒューモは1960年7月にはマクミラン内閣で陸軍大臣に就任し枢密院のメンバーに任命され、未来の首相候補とまでいわれたエリート世襲貴族だったが、キーラーがホテルのプールを全裸で泳いでいる姿を見て一目惚れしてしまった。
一方、銃撃事件を調査していた報道機関が、キーラーはプロヒューモ陸相と親密な関係があるという情報を入手し、1963年イギリスの大政治スキャンダルとなった。
余談ながら、この事件を通じてコールガールという言葉が高級娼婦を意味する事も判明した。
キーラーはプロヒューモ陸相以外にも、イギリス駐在ソ連大使館の軍武官とも親密な関係だったことが判明、国家機密漏洩の疑いがかかり下院での真相究明となった。

下院で「あなたはミスキーラーと関係がありましたか」との質問されたプロヒューモは、「その女性は知っているが、不品行な関係はない」と、事実とは違って身の潔白を主張してしまった。
その後、プロヒューモは自らマクミラン首相宛の手紙の中で、「議会での発言が嘘であり、キーラーとは親密な関係があった」と認めたが、軍事機密の情報漏洩についてはなかったと告白、謝罪して職を辞任した。
まるでスパイ映画そのものだが、その後の調査で確かに情報漏洩はなかったが、英国では国家機密漏洩より更に重要な倫理観、即ち「嘘をついてしまった事」を問われる事となった。

その後、プロヒューモは嘘をついた自分を探く恥じ、先祖から受け継いだ莫大な財産と地位を全て投げうち、ロンドン東部の貧民街のイーストエンドに住みつき、貧困や病気に喘ぐ弱者のために奉仕活動にその生涯を捧げた。
1975年70歳を越えたプロヒューモに対して、彼の献身的な奉仕活動の事実を知ったエリザベス女王は、「嘘をついた罪は大きいが、あなたは充分に罪を償いました」と大英帝国勲章を叙勲したが、プロヒューモは、「嘘をついた罪は絶対に消えない。私は一生かけて償う」とイーストエンドで働き続けた。

プロヒューモの死後、ブレア英首相はBBC放送で、「プロヒューモ氏は重大な過ちを犯したが、大勢の人を助けて償いの道を歩んだ華麗な経歴の政治家だった」とコメントした。
プロヒューモは、嘘をついた自分を許すことが出来ず、その後の人生ではひたすら懺悔と反省の日々を送り続けた。聖書を前に、嘘をついてはいけない事を徹底的に教え込まれているイギリス人の多くは、プロヒューモの嘘は許さないが、その後の彼の生き方については大変感銘を受けている。