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炎の連チャン、七日間でゴルフ四回、その二

火曜日は、岐阜の名門「岐阜関カントリー倶楽部」へ。

気合いの前日名古屋入り、キャッスルプラザに投宿。
朝起きてテレビを見ると、岐阜地方は一日中雨の確率100%。
「これじゃ本日は雨で致し方なし」と覚悟の出陣だったが、到着するとキャディが「午前中は何とか持ちそう」と嬉しい事を言う。
実際は、一日中曇りで、気温20度前後と絶好のゴルフ日和。

女子トーナメントがあった東コースを予約していたが、トヨタの「レクサスオーナーズコンペ」が開催されていたので一時間以上の待ち時間があり、すぐにスタートできる西コースに変更。
それにしても流石にレクサスのオーナーさん達は、一見して金持ちの雰囲気が漂っている。
見るからに貧相な我が集団とは、貫録が違う。

当方、いきなりパー5のドライバーがナイスショット、ところがパーオンしたグリーンで3パットのボギーと散々のスタートだった。
しかしその後のオリンピックは、午前中で残り金メダルだけのリーチと好調。
9番ホールで金メダルのチャンスが来たので、気合い満々でパターしたがとんでもなく強く出てグリーンを外れるほどの醜態。、
結局4パットになってしまった。
欲をかくとロクな事にはならない、そんな典型。
午後は、ショットが曲がり始め、ほとんどがラフからのリカバリー。
ボールは三分の二ほど浮いているので甞めてかかったが、ロングアイアンでは距離が出ない。
パー5でラフからの二打目、三打目が50ヤードずつしか飛ばず、一気にスコアが乱れた。
キャディが「岐阜関のラフって有名なんです」と教えてくれた。
「もっと早く教えてくれたら、打ち方を変えたのに」と毒づくが、実はどうしたらいいのか分からない。

最終スコアは、午前中44、午後43の合計87。
オリンピックはちょうど±0、極めて平和裏に終了。
次回は、年末に大阪の超名門「茨木」での再戦を約束、名古屋駅まで送ってもらってしてお開き。

ところで、岐阜関はその昔森口祐子プロが所属していたコースだ。
彼女が日本女子プロをこのコースで勝ったのは1990年の事で、うれし泣きしながら恩師井上清次と抱き合った光景を覚えている。
その後岐阜関メンバーでハンディ0の凄腕医者と結婚、子どもも二人。
単にゴルフが上手いだけでなく、主婦として、母として、多くの人から尊敬されている女子プロだ。
キャディにとっても「コースの草取りをしていたら、森口さんが差し入れをしてくれた」と自慢のタネらしい。
世の中には、「勝負師でありながら人格者」との珍しい人がいるものだ。