昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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男だねぇ、渡辺喜実

僕は、渡辺喜実はおっちょこちょい政治家と思ってきた。
公務員制度改革に拘り、たった一人で当時の自民党麻生太郎政権に反発、離党し、「みんなの党」党首になったが、見てくれはとてもリーダー然ではないし、所作振舞いも軽く見えた。

しかし、石原慎太郎命名した政党「立ち上がれ日本」を、「立ち枯れ」と揶揄する瞬発力は、さすがに言葉を生業とする政治家の面目躍如だったし、その後の「みんなの党」は新党の中で一定程度の存在感を示しているので、単にブームを当て込んだ、風頼みの政治家ではなさそうだ。

その渡辺喜実が、「日本維新の会橋下徹からの合流要請を、いとも鮮やかに拒否した。
単なる選挙目当てだったら、人気がある「日本維新の会」への合流も選択肢かもしれないが、渡辺喜実はここでも「政策の一致」に拘り、逆に橋下徹に対して、石原慎太党の「太陽の党」との合併白紙撤回を要求し返した。
「我々は野合はしない」とは、世間で評判の悪い「(旧)日本維新の会」と「太陽の党」が合併した「日本維新の会」は野合政党だと痛罵しているに等しい。

確かにこの間の橋下徹は、思い上がっていると言われても仕方がない。
如何に「日本維新の会」の人気があろうとも、政党としては「みんなの党」が先輩格だ。
それをいきなり、「渡辺喜実の英断で、解党して合流」と言われると、「馬鹿にするな」と言い返したくなるだろう。
しかも今の「日本維新の会」の政策は、野合政党故のダッチロール状況であり、一体何をする積りなのか、さっぱり分からなくなってきている。
そもそも竹中平蔵がブレーンの「旧日本維新の会」と、その竹中平蔵が推し進めた郵政民営化に反対して自民党を離党した「立ち上がれ日本」の間で、政策の合意などあり得ないはずだ。
そんな野合政党のリーダーに「成り下がった」橋下徹は、言うに事欠いて「みんなの党との候補者調整はじゃんけんで」と、とても真面目に考えているとは思えない発言まで仕出かした。
渡辺喜実が、「上から目線の、失礼千万な要求」と立腹するのも宜なるかなだ。

こんな事態になってしまったのも、石原慎太郎の定見のなさに橋下徹が付き合ってしまったことに原因がある。
石原慎太郎が突如として国政に復帰したのは、息子が自民党総裁に落選したためと言われている。
第三極を集めれば、自分が総理大臣になることも夢ではない。
80歳の耄碌爺ィは、まずは「立ち上がれ日本」を傘下に収め、続いて人気ナンバーワンの橋下徹にすり寄った。
本来なら、ほんの少し前まで中京地区で人気を博していた河村たかしも巻き込んだ一大勢力を夢想していたようだが、この手の新興勢力間では、些細な意見の違いでも必ず主導権争いが頻発する。
案の定、橋下は河村との合流を拒否、石原は河村を切り捨ててまで橋下にすがった。
石原が一貫して主張していた、「皆で小異を捨てて大同につく」方針は、一体どこに消えたのだろうか。

そもそも政治家が「小異を捨てて」などと言ったら、大方は野合だと思って間違いない。
そしてその結果は、「小異を捨てて」反自民党でまとまっただけだった、この間の民主党の大失敗を見れば、火を見るよりも明らかではないか。
今回の「日本維新の会」は、まさに第二の民主党でしかない。
そして、政策の一致を条件として、「日本維新の会橋下徹に、合流の高いハードルを突き付けた渡辺喜実の対応は、石原慎太郎橋下徹に比べても遥かに信頼が持てる。

選挙が全ての政治の世界で、敢えて橋下徹に対して原則論を振りかざす。
死中に活を求める渡辺喜実は、男だねぇ。