昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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宗教について考えました。

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僕は、宗教のことは、ほとんど分かっていない。
真剣に神様を信じている人から見ると、誠に好い加減な人間である。

2000年初めてバリ島に旅行、ガイドの男性から、「神様へのお供え物に年収の半分以上を使っている」と聞いてビックリ。
彼の年収たるや、大袈裟に言えば、僕の10%程度。
「それじゃ生活が苦しいでしょう?」と聞いたら、「いいんです。死んだ後は、神様が天国に導いてくれますから。だって、死んだ後の人生が長いですから」との返事。
‘死んだ後も、人生って言うのかなァ、人死って言うのでは……’なんて屁理屈はこの際関係なし。
大いにカルチャーショックを受け、「バリヒンズー教もなかなか良いものヨ」とすっかり感化されたが、日本帰国後一週間もしないうちに元の木阿弥。
単に怠惰な日本人に逆戻り。神様から見れば大変罪深い、たくさん酒を飲んだり、人の悪口を言ったりを、日常的に繰り返してきた。

昨年7月には、イタリアとバチカン市国を旅した。
カソリックの総本山は、超世界的遺産のオンパレード。
一週間やそこらで見尽くせるものではない。
荘厳な美術品の数々にすっかり大感激。
7月いっぱいはカソリック教徒のような気分になっていたが、これまた長続きがしない。

宗教は、本来人を救うものだろうが、多くの宗教は、異教、異端を許さない。
歴史的には往々にして、異教徒、異端の徒とは血で血を洗う戦いが発生してきた。
その時には、自分が信じる神様、例えばキリストやアラーは、異教徒を殺せと命令したのだろうか?
イタリアで見たキリスト教の絵画の多くは、磔になったキリストの手や脇腹から流れる血が描かれている。
イスラム教の預言者ムハンムドが、砂漠で武器を持ち馬にまたがり、自らが先頭に立って同志を鼓舞する絵を見たことがある。
多くの宗教は、非妥協的で、攻撃的なのかなと思ってしまう。

その点、仏教は、お釈迦様は寝転んだ状態の絵や彫刻が多く、また常に神秘的な微笑みを浮かべている。
仏教には、厳しい戒律の他の宗教にはない穏やかさを感じる。
日本では、仏教徒が時の為政者に武力で抵抗したことはあるが、仏教徒同士が殺しあったことは少ないのではないだろうか。(日蓮は、布教の過程で他の宗派から迫害されたらしいが、殺されてはいない)

僕は今、‘敬虔な無宗教徒’として、「苦しいときだけの神頼み」人生を送っている。
そうは言っても、おそらく僕自身の精神の奥底は、日本人として神道と仏教感に影響されていると思う。
自分が信じるもの以外にも、比較的寛容な日本人でよかったと思う今日この頃である。