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中田引退狂想曲

昨日は、一瞬我が目を疑った。
朝のテレビのニュースで中田が引退を表明したのは知っていた。
しかし、我が愛読紙産経新聞の一面トップ記事が「中田英引退」だったのである。
数日前の橋本竜太郎死去だってトップ記事ではなかった。
元首相の死去に比べ、サッカー選手のそれも現役引退発表はそんなに社会的に意味があるのだろうか?

野球の王、長島のように赫々たる実績を上げた人の引退なら少しは分かる。
サッカーの中田の実績とは一体何なんだ?
イタリアに渡り一時レギュラーとなったが、その後現在のイタリア主力選手のトッティにその座を奪われて以来、あちこちのチームを渡り歩いたが、レギュラー確保とはならなかった。
トッティとの差は、今回のワールドカップでの存在感を見ても一目瞭然だ。
中田は、今回のワールドカップだって、練習の時には仲間をどやし続けて、すっかりチームで浮いてしまったわりには、本戦で一点のゴールを決めたわけでもない。
最後に、グラウンドに倒れこみ泣いていたパフォーマンスが印象に残っている程度だ。

ジャパンの仲間から「他人の価値観を無視し、全て押し付けてくる」とそっぽを向かれたのを、マスコミは「嫌われ役を買って出た」と賞賛していた。
これで一勝でもあげていれば素晴らしいリーダーシップだろうが、結局中田を持ってしても日本は世界に通用しなかったのであり、中田は何等実績を残さなかった。

それなのに、産経新聞は四面に渡って引退を惜しむ記事を書きまくっている。
彼のホームページの引退宣言を読んだが、何の感激も感じなかった。
大体、自分のことを「俺」と書くなんて常識がない。が、これは大目に見よう。
「少年の頃の瑞々しい気持ち」なんて書いていたが、全ての少年は瑞々しい気持ちなんて思いもせず、ただただ楽しいから遊んでいるだけだ。
それを「瑞々しい気持ち」なんていうこと事態、全く大人の感覚そのものだ。

日本中は中田引退狂想曲の真っ只中だが、僕にとっては、まぁ中田の引退なんかどうでも良い。
彼がいなくなった後の日本チームが強くなって欲しい。
そう願っている。