昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

松岡利勝議員について

松岡利勝農水相(62)の自殺について姦しい。

「死者に鞭打たず」の日本的伝統の為、一方的な批判は影を潜めた。
   本当は、早く事実を述べて辞めたかったはず。
   農林業については、政界屈指の政策通。
   表面的な強面とは裏腹に本当はいい人。
   親孝行の息子が、今生の別れに故郷を訪問し、母と共に墓参り
とか、疑惑を棚上げにした死者礼賛のコメントも流されている。

ただ、死を持ってでも松岡議員が隠したかった事、守ろうとしたものは何かを考えると、やはり疑惑の闇がいかに深いかが分かる。
決して奇麗事ではない。
すなわち、緑資源機構の官製談合事件と不正政治資金献金の問題では、松岡はもう逃げ切れないところまで追い込まれていたのである。
緑資源機構は、まさに松岡の肝入りで事業が開始されたようなものなので、松岡の地元で捜査される事は、本丸が松岡であり、彼の身辺に司直の追求が迫っていた事が容易に想像できる。

議員会館事務所の光熱費問題でも、松岡の答弁を信用している人はいない。
盟友、鈴木宗男は「松岡は、実際はガラス細工のように弱い人だった。彼は辞任したかったのだが、政府の方針と国対上、辞めさせてもらえず、黙っていろと指示された」と暴露、さっそく安部首相が「事実無根」と反論していた。
しかし、今までの経緯を見れば、政府は、時の内閣の大臣が疑惑を認め辞任する事の政権への打撃を避けるため、松岡にシラを切り続けろと指示しただろう事も推測できる。

大臣になりたかった松岡は、その胡散臭さから今までの内閣では全くお呼びがかからなかったが、農林族としての技量を評価され、安部政権で初めて夢をつかむ事ができた。
安部首相は、疑惑で火だるまになった松岡を、その能力への評価と、自分の内閣を守る為にかばい続けた。
今になって、多くの評論家からは、「もっと早く辞めさせれば、松岡は死ななくて済んだ」と任命権者の安部首相を批判している。
しかし、松岡は自分を大臣に抜擢してくれた安部首相を恨んではいなかっただろう。
むしろ感謝していたはずだが、同時に、自分が原因で安部政権が窮地に陥る事が耐えられなくなったのだろう。

僕は、国会議員として農水大臣にまで登り詰めた松岡は、一転逮捕、拘束され、生きて虜囚の辱めを受ける事を拒否したと思っている。