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「地獄を見た政治家」鈴木宗男について

鈴木宗男は、その昔、故中川一郎の秘書で、「中川の金庫番」とも言われていた。
1983年に中川が自殺した時には、鈴木の衆議院議員総選挙への出馬準備による裏切りが原因と言われバッシングを受けた。
選挙では、中川一郎後継の座をめぐり、中川の長男、中川昭一と骨肉の争いを演じ、激戦の末両者共に初当選。直後自民党追加公認された。
当時は、渡邉恒雄から立候補断念を迫られながら拒否、その後読売新聞から徹底的な鈴木批判キャンペーンが展開された。

当選後は、持ち前の厚かましさ、声の大きさ、政局を読む勘の良さから、最大派閥「田中派」に属し、同派の野中広務を師と仰ぎ、「野中・鈴木ライン」で政界を席巻したこともある。
しかし、順風満帆だった政治家人生も、小泉政権田中真紀子外相誕生で一転する。
外務省に根を張り、ロシア権益を独占していた鈴木宗男に対し、父田中角栄への裏切者と思っていた田中真紀子は徹底的に鈴木と鈴木の取り巻きを攻撃した。
世間に圧倒的に人気のあった田中真紀子とその後ろ盾だった小泉首相の前では、さすがの鈴木も衆寡敵せず、その後、最も人気のない胡散臭い政治家との印象が定着してしまった。

2002年、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」、いわゆるムネオハウスの建設をめぐる疑惑を発端として数々の疑惑が浮上。
社民党辻元清美に「疑惑の総合商社ですよ!」と揶揄され、疑惑政治家のイメージが定着。
果てはやまりん事件で、あっせん収賄の容疑で逮捕され6月21日議員辞職勧告決議が可決された。
まさに踏んだり蹴ったり、アホの坂田に似た人相と、それまでの押しの強さが災いし、一気に政治家人生が暗転、文字通り「地獄を見る」ことになった。
鼻水を垂らしながら、家族への感謝を述べた記者会見は印象的だったが、ほとんど同情の声はなかった。

2003年、衆議院選挙の直前に保釈されたが、今度は胃ガンが発見され手術。
2004年の参議院選挙には無所属で出馬したが、落選。
鈴木宗男の苦難は続いた。
2005年、最も不遇の時でも鈴木を信頼し、かばい続けた友人松山千春と共に「新党大地」を結成、代表に就任。
2005年9月衆議院議員総選挙比例北海道ブロックより当選。
まさしく「地獄を見た政治家」鈴木宗男は国会議員として復活した。
天敵田中真紀子は、その後外務省を追われ、ジプシーのような政治家となったが、逆に鈴木宗男は、自分を放逐した外務省への攻撃的質問を頻発、外務省の矛盾を徹底的に暴露し、存在感を増している。

その鈴木宗男が、盟友松岡利勝の自殺に関して、「松岡は正直に話したかったが、安部政権の中枢から止められた」と暴露し、話題となっている。
安部政権から猛反発を受けたが、もはや怖いものなしの鈴木宗男は、「松岡議員が私に話した事を発表しただけ」と、歯牙にもかけない。

あれほど日本中で嫌われた鈴木宗男は、自民党の裏側の知りつくした政治家でもある。
自民党と安部政権にとっては、鈴木宗男は、「攻撃すれば返り血を浴びる」諸刃の剣となっている。

僕もある時期、鈴木宗男に対しては嫌悪感と不信感を持っていた。
しかし、最近の鈴木宗男を見るにつけ、族議員で地元への利益誘導を最優先する旧来型議員だったことは間違いないが、捨て身となった現在の政治姿勢には好意を持って注目をしている。