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死刑制度について

わが愛読紙、産経新聞にあまり目立たないが、「イタリア便り」なるコラムがある。
本日、日曜日のタイトルは「死刑を望む終身刑囚」で、イタリアにおける死刑制度を報告している。
僕自身全く知らなかったのだが、イタリアでは刑法上死刑が存在せず、最高刑は「終身刑」で、且つ26年間刑に服すると、条件付きで出所の恩典もあるらしい。実質的に終身刑といっても名ばかりで、一生を監獄で暮らす例はないとの事。
そのイタリアで、この五月下旬に終身刑囚310名が「将来に希望が持てない。毎日少しずつ命を削られるような刑なら、いっそ死刑に」との嘆願書を大統領に出したら、国会議員の多くが「終身刑廃止」の声が上がったらしい。
記事の中で、20名以上を殺害したマフィアでも終身刑なので、被害者の身内からは不満が出るが、何せイタリア政府が国際的に死刑廃止の音頭取りなので致し方ないとも書いている。

「そんな馬鹿な」と思う。

そもそも、全ての生きとし生きる者は、毎日命を削られながら、必ず訪れる死へ向かって生活している。
将来の希望は人それぞれだろが、しかし、人を殺めたり、あるいは死刑や終身刑に相当する罪を犯した人は、まずはそれを償うことが先であり、それは、当然ながら自由を奪われたり、あるいは自らの命を持って贖うものだろう。
実際に、死刑や終身刑に匹敵する犯人が「将来の希望」や「生きて償いを」や、果ては「犯人の権利」まで主張している時、その憎っくき犯人に殺められた、何ら落ち度のない被害者の将来は、取り返しのつかないゼロになっている事は大矛盾だ。

わが日本でも、死刑制度廃止に関しては、山口県光市の母子殺害事件の裁判でも犯人の弁護士によって、とんでもない茶番劇が進行中だ。
イスラム教のハンムラビ法典では、有名な「目には目」の教えがある。
僕はイスラム教徒ではないので、正確に意味を知っているわけではないが、おそらく犯罪には同様の罰が与えられる事を教えているのではないだろうか。

僕には、死刑廃止運動は、「犯罪によって死んでしまった人は仕方がない、犯人とは言え、生きている人の人権が大事だ」のように聞こえる。