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三浦和義事件の全く別の見方

三浦和義が、アメリカはサイパンで逮捕された。

逮捕容疑の事件発生当時、週刊文春の「疑惑の銃弾」は大ベストセラーになり、僕も熱心な愛読者だった。
日本中が大騒ぎした挙句、三浦和義は被害者をハワイのホテルで殺害目当てに襲った事件では有罪、肝心のLAでの銃撃事件では無罪と、全く訳の分からない裁判結果となってしまった。
爾来27年、三浦和義は万引事件で一時的に世間を騒がしたが、この銃撃事件は日本では全く話題にも上らずすっかり風化し忘れ去られてしまっていた。

そこに、LA市警によるサイパンでの全く突然の「三浦和義逮捕」のニュースが飛び込み、我々日本人には全くびっくりの進展だが、どうもアメリカでは至って当り前の対応のようだ。
まず、今回の出来事で分かったのが、アメリカではこの手の第一級殺人事件には時効がない事。
逮捕状はなんと20年も前に発行されたものだし、アメリカには迷宮入り事件をしつこく追及している警察組織があるらしい。

我が日本では、長期にわたる捜査は様々な負担を強いるし、何より誤認冤罪を引き起こしかねないので時効制度が存在するが、よくよく考えれば「時間が経過すれば無罪」との考えはおかしい。
これは、日本人特有の「水に流す」神道の考え方が根底にあるはずだ。
日本では、「謝れば許す」、「時間が経過すれば恨みも薄らぐ」のは当たり前。
菊池寛の有名な小説「恩讐の彼方に」では、親の敵と一緒に洞窟を掘るうちにすっかり気ごころが通じ合い、最後はあらゆる恨みを忘れ去る事になっており、日本では美談として扱われている。

しかし、世界中では「許すが、絶対に忘れない」のが一般的だ。
例えば中国人や韓国人は、第二次世界大戦で日本人が彼等に対して行った様々の事件に対し、「日本が謝ったから許すが、我々は絶対に忘れない」と言う。
一方の加害者側の日本では、「真摯に謝ったのだからもうオワリ。水に流した」との考えがある。
靖国参拝を巡る日本対中国&韓国の受け取り方の違いも、ここに起因していると思われる。
これは、DNAの差であり、おそらく絶対に理解しあえる事はないだろう。
今回のアメリカが三浦和義を逮捕したのは、国際的には日本特有の、「時間の経過と共に水に流す」解決方法が通用しない事の証左だ。

グローバル時代の今日、日本人特有の美意識や価値観が通用しない事を改めて感じた「三浦和義逮捕」事件だった。