昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「格差是正」など幻想です!

世の中に格差がある事は悪らしい。
日本に限らず、アメリカでも中国でもインドでも、あらゆる場面であらゆる人達が格差是正が唱えている。
日本の民主党は、「今の政府政策は格差が拡大している」と自民党を攻撃している。
特に小泉首相時代からの改革路線は、地方と都会、強者と弱者の間での格差を急拡大させたと攻撃されている。
しからばと自民党もまた、「格差是正の為に」弱者救済の施策を提案する。

しかし、何を持って格差と言うのだろうか。
格差のない理想郷は社会主義共産主義社会だったはずだが、実際のそのような国々は資本主義社会以上に激しい格差社会だった事が分かっている。
共産党員は超エリート集団で、かの国ではトンデモナイ特権階級に所属、一般庶民が想像も出来ないような栄耀栄華な生活を送っていた。
日本は、最も成功した社会主義国家と皮肉られるほど格差はないはずだが、先の述べたように、そんな日本でも格差拡大への批判が強まっている。

しかし、人類が普通に生産活動をすれば、否が応でも必ず成果に差が出てしまう。
そうすると、これも必然的に報酬に差が出てしまい、それは格差へとつながっていく。
即ち、経済格差は必然なのだ。

無論、ハンディキャッパーや、人一倍真面目に努力しても報われなかった人達への思いやりは必要だ。
安倍前首相は、「再チャレンジ」なる言葉で、復活戦をサポートした。
ただ、いくら再チャレンジを支援しても、次はうまくいく保証はないわけで、格差を是正できる奥の手などは絶対に存在しない。

仮に、もしも格差のない社会が実現できたとすると、今度は競争がなくなってしまう。
切磋琢磨がない世界では技術の革新や世の中の進歩がない事は、既に多くの社会主義国家の崩壊で立証済みなのだ。
格差是正等の掛け声は、残念ながら大衆迎合ポピュリズムの、単なる気休めでしかない。

人間は、いつも他人との競争の中に身を置き、何とか勝ち抜こうと努力している。
勝者がボランティア活動に熱心なのは美徳と見られるが、勝ち取った成果のごく一部を社会に還元する、勝者故の余裕の発露とも見る事が出来る。
敗者は、こんな勝者からのメグミに期待するのではなく、やはり自前の努力で勝者と同様の成果を勝ち取らねばならない。
国家や自治体に、自分の悲運を嘆き格差是正を求めても、全く何の解決にもならない事を肝に銘じるべきだ。