昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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戦争を考える

戦争を肯定する気はさらさらない。
戦争は、当事者同士や周辺の人たちに物心両面から想像を絶する被害を与えてきたのだから、チョットでも理性を持って考えれば戦争など回避できるはずだ。
しかし、戦争はなくならない。
20世紀には二度にわたる世界規模の戦争が繰り返された。
その度に、大いに反省し、二度と戦争を起こさないと固く誓い国際連盟国際連合を作ったはずだが、現実には世界の各地域でキナ臭い紛争が頻発している。
世界規模で見ると、小競り合いは仕方ないと割り切った方が正解かもしれない。
一昔前までは東西冷戦が続いたので、いつ何時世界大戦が勃発しても不思議ではなかった。

人間は、一人ずつ顔かたちがバラバラのように、価値観も人それぞれに違う。
「人類皆兄弟、一日一善」 昔、競艇を束ねる政界のフィクサーが声高に叫んでいた。
こんなお題目が本当なら紛争など起こりっこないが、民族が違っただけで敵味方に分かれる現実社会では飽きもせず殺伐とした殺し合いが続けられている。
人間は、自分とその仲間の価値観を守る為には命を懸ける。
またお節介にも、自分の価値観を他人に押し付けようと努力したりする。
そして、意に沿わぬと暴力を振るってでも自分の意志を通そうとする。

その過程では争いは絶えず、被害も拡大するが、一方では多くの戦死者を出す事で結果として人口調整が実施された事になる。
これは戦争の持つ別の一面である。
戦争によって地球最大の害虫である人間の繁殖を抑えてきたのであり、争う事は自然の摂理とも考えられる。
地球を勝手気ままに破壊し続けた人間は、地球上に高度な文明を築くのに成功したが、一方では近い将来には必ず枯渇するまでにあらゆる地球資源を使い尽くしてしまった。
再度蓄積されるには数百億年が必要だから、もはや天然資源がふんだんに存在する事はありえない。
しかしこれでは、現在60億人を超える人口を養いきれるはずがない。
騒がれている石油だけではなく、水や食料が不足すると、人間は必ず争ってでも自分達の分は確保しようと蠢く。
こうして新たな争い事が発生、その結果人口が減少し、またその結果バランスが保たれるはずだが、ただ今までと違うのは、現在は既に地球資源が掘り尽くされている事だ。
残り少ない資源で養える人口には限りがある。
勢い、少ない資源をめぐって血で血を洗う激烈な戦いが発生するので、人類の存続すら危うい。

そこまで切羽詰っているのに、我々は他人の価値観を受け入れる事に対しては極めて消極的だ。
この八方塞の状況を宗教が救ってくれるのか?
科学は?哲学は?
いずこにも答えがない。
人類は、残念ながら、昨日も今日も明日も、瑣末な大儀を振りかざして戦争を繰り返しながら、破滅への道を突き進んでいる。
地球上のあらゆる動植物の中で、唯一人間だけは論理的な思考が出来るはずだが、それでも戦争を回避できない。
悲観的絶望的な思いとなってしまう。