昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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神事に参列

久しぶりに神事に参列した。
ある工場の新鋭機竣工式に参加したものだが、わざわざ神主を呼んで本格的に開催したのには理由があるとの事。
何でも前回神事をすっぽかして、身内だけで竣工式を執り行ったところ思わぬ事故が続いたので「これは神様の怒り」と、今回は祭壇までこさえた本格的なものにしたらしい。

この辺はいかにも日本人の宗教観がにじみ出て、呆れる程に微笑ましい。
我々日本人の多くには、神様は苦しい時や困った時に頼りにすれば助けてくれる、大変便利な存在だ。
キリストやアラーのように、日常生活でいつも敬い感謝するような対象ではない。
だから、「前回は無視して御免なさい。今回はキチンと崇めたてますので是非ともご利益の程を」と、ご都合主義でお願いしてもちゃんと応えてくれるものと思い込んでいる。

西洋の神様は、こうはいかない。
何せこちらの都合で勝手なお願いをすると、「信仰心を試す」などと言って更なる試練を与えたりする。
困った時だけ頼りにするには、はなはだ具合の悪い神様だ。
しかも日本には八百万の神様が存在するので、誰かに嫌われても別の神様が救ってくれる。
神様の方も大らかなもので、七福神なんて肖像画や彫刻を見てもキリストのように苦難に満ちた顔をしているわけではなく、必死さも伝わってこない。

日本人には、神様と仏様の区別も曖昧だ。
だからお祈りをする時に、「神様、仏様」と一緒くたにしてしまう。
厳密には成り立ちも違えば教えも違うはずだが、日本人の宗教観では神道と仏教がコンタミしても別段困る事もない。
結婚式は神前、葬式は仏式、クリスマスやバレンタインデイは大騒ぎ。
こんな雑食宗教民族は、世界中探してもそうは沢山いないだろう。

真面目に宗教を信じ、持てる者全てを神に捧げるような宗教もある。
世界的には、そっちの方が多いのだろうが、当方は今回の神事でも、本来なら神々しく厳かなはずの神主の祝詞玉串奉奠の儀を、まるで異次元の世界の物語りのように興味津々で見ていた。
如何に大らかな神様、仏様相手とは言え、こっちの都合だけで頼りにする「テキトウにケイケンな仏教徒」などは、いつも神様を畏れ、神に感謝しながら生活する宗教観を持つ人達から見れば罰当たり者だろう。

死んだ後は、キリスト教徒やイスラム教徒からは仲間外れにされそうだ。