昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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菅直人と小沢一郎のケンキュー

菅直人は底抜けの善人なのか、どうしようもなく無能で馬鹿なのか、あるいはその両方なのか。
日本国家を代表する首相の存在が、これほど軽かった例は過去にない。
ぶら下がりの記者会見では、常に目が泳いでいる。
喋る内容は、まるで抽象的。
内閣の要、岡田幹事長が小沢グループとの決別を画策すると、「今、幹事長が調整中」と、まるで他人事のように答える。
直近では「リーダーとしての指導力がない」と批判されると、途端にあらゆる問題に「最後は私の判断で」を乱発する。
海外の要人をと会う時には、語学に対する自信の無さが一目瞭然に分かってしまう。

その昔、O-157騒ぎの時、「カイワレ大根が犯人」と早とちり、その後間違った情報を発信した事が分かると、カイワレ大根をパクつくパフォーマンスで失地回復を図った。
ごく最近では、参議院選挙で大敗し、国会対策が焦眉の急になると、突然創価学会の美術館を訪問し、あからさまにゴマスリをする。
政策への拘りなど求むべくも無く、政権維持の為なら、臆面も無く社民党新党改革に擦り寄る。

友達として付き合うのなら、「あいつは賢くは無いけど、信用できる奴なんだよな」で済むかもしれないが、彼は日本国一億人の代表の地位にある。
日本国の利益を代表して、権謀術数の国際社会で丁々発止の手練手管で国益を守らなければならない役割を担っている。
それが、あんなに分かりやすい、底の浅い人間では、高度の駆け引きなど望むべくも無い。

これが日本の総理大臣なのだから、お里が知れて困ってしまう。
菅直人は、野党時代は論客で鳴らした。
舌鋒鋭く、時の政権党、自民党を攻撃していた。
その全てが、今やブーメランの如く、己の身に災厄として降りかかっている。
野党の無責任時代に言いたい放題だったツケを、政権与党になった今支払わざるを得ない。
少しでも自分の発言に責任を感じる良識があれば、とても恥ずかしくて外を歩けないだろう。
しかし、幸か不幸か、本人は鉄面皮宜しく、そんな自己矛盾に鈍感のようだ。

一時は一緒に魚釣りに興じるほど、小沢一郎の提灯持ちだった菅直人だが、あまりに失政を重ねた結果、残された人気浮揚策が小沢切りしかなくなってしまった。
最後のカードを切ってまで、政権維持に腐心する。
菅直人は、一日でも長く総理大臣の地位にしがみつく事しか関心がない。

もう一方の役者、小沢一郎も女々しい。
民主党代表選挙で菅直人と対立した以上、負けたら徹底的に冷や飯を食わされるのは覚悟の上だったはずだ。
それを今更、「協力しようと思っても遠ざけられる」とか、「仲間を見捨てるのか」と泣き言を漏らすとは、その昔から常に政局の中心で政治を動かしてきた豪腕の名が泣く。
菅直人のやり方が気に入らないのなら、サッサと党を割ればよい。
小沢一郎という政治家は、去るものを追わない純化路線を取り続けた。
今回ついて来る同志がわずかなら、数を力に政治を動かしてきた小沢一郎の時代が終っただけだ。
その時は、志は半ばかもしれないが、潔く身を引けばよい。
それが一時代を作った大政治家、小沢一郎の身の処し方だと思う。

いずれにしても、昨年画期的な政権交代を成し遂げた民主党は、その重責に耐え切れず瓦解し始めた。
民主党は、権力の座にふさわしい政党ではなかった。