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相撲界の八百長騒動

とうとう相撲界の八百長がバレてしまった。
お陰で、当方が昨年2月に書いた記事を読んだ人がいて、コメントを寄せてくれた。
また2008年10月には「大相撲には八百長があると思う」との記事も載せている。
http://blogs.yahoo.co.jp/saraam_s/56854790.html
当方に、先見の明があると自慢しているわけではない。
今までだって、誰もが知っていながら「見て見ぬふり」をしていたものだ。

八百長は、古くは石原慎太郎が「八百長相撲」とクレームをつけた、大鵬柏戸
最近の名横綱千代の富士八百長の常連さんと言われた。
若乃花貴乃花が仲違したのも、兄弟優勝決定戦での八百長が原因ではないかとの憶測が絶えない。
朝青龍も疑われていた。
元小結、板井は、外国人記者クラブで「衝撃の告白」をしたものの、相撲協会は「知らぬ存ぜぬ」を決め込んだ。
週刊ポスト八百長相撲批判の大キャンペーンを張った時、スポーツ雑誌「ナンバー」は、敢然と八百長擁護で反論したが、これは極めて希有な例。
通常は、「無気力相撲はあるが、八百長はない」との相撲協会の建前見解を黙認してきた。

放駒(魁傑)理事長は「今回初めて発生」と、必死に相撲界の八百長蔓延を否定したが、誰も信じる人はいない。
相撲界は、八百長と共存して生きてきた。
将に八百長は、相撲界のDNAそのものだ。
そもそも相撲取りは、一応土俵上では真剣勝負となってはいるが、一年六場所90日の本場所以外では、長く一緒に巡業している共同体の仲間同士だ。
一緒に飲み、食べ、歌いの興行を繰り返すのだから、私生活では仲良しクラブになるのが普通だろう。
千秋楽に勝ち越しがかかった力士の勝率が高いのも、いわば必然。

開いた口が塞がらないのは、相撲協会の外部委員を務めてきた漫画家の、やくみつるだ。
彼は、「自戒の念を込めて言うと、自分が出席した会議で八百長問題が取り上げられた事はなかった。しかし自分も含め、誰もが八百長の存在はないとは思っていなかったが、それがあっても相撲が好きだった」と発言した。
八百長の存在を知りながら、見て見ぬ振りをしてきた事を認めたものだ。
しかしこんな無責任オトコが、朝青龍に対して「横綱の品格」を理由に引退を勧告したのだ。
スポーツジャーナリスト玉木正之は、「他のスポーツと違い、大相撲は、神事、興行、格闘技の三つが一体化したもの」と講釈を垂れていたが、興行を成り立たせる為に必然だった八百長が白日のもとに晒された今、何と言い訳する積りだろうか。
いずれも、評論家、コメンテーターとしての品格が問われる。

そもそも、玉木ややく、元NHKの杉山達が朝青龍排斥を訴えた時、彼らは「相撲は日本の文化だから、日本のしきたりを守れ」と声高に主張していた。
そしてこの日本の文化、日本のしきたりの分かりやすい例が、即ち相互扶助精神なのだ。
八百長は、そんな横並び日本人の体質そのものだ。
相撲協会が「過去に八百長はなかった」と言い繕うのは、まるで無意味だ。

相撲協会は、特殊公益法人資格の取り消しさえ噂されている。
長らく八百長を見て見ぬ振りをしてきたコメンテーター諸氏は、「多くの力士は真剣に相撲を愛している」とか「八百長はほんの一部の力士だけ」とかの綺麗事ではなく、今こそ「八百長相撲こそ日本古来の文化だ」と訴えるべきです!