昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

子供の躾と子供手当

最近は、新幹線で出張する時は窓際の席に座って、列車の振動に身を委ねながら資料や本を読んでいる事が多い。
すると、いつの間にか眠り込んでしまう。
ヘッドフォンステレオを聞いていても、睡魔に負けて眠り込む。
この心地よさは、営業担当サラリーマンに与えられた特権だ。

過日、その新幹線で転寝していた至福の時が、無粋極まりないガキの泣き声で中断された。
何が気に入らないのか、三歳くらいの洟垂れ小僧が、空気を切り裂くような高い音質で泣きじゃくっている。
横に、太ったバカ顔のオンナがいるが、状況から判断するに、おそらくは母親だろう。
何だかんだとあやしていると、しばらくはそれなりに落ち着くが、その内にまた、先ほどよりも大きな声で泣き始める。
母親の方は慣れたもので、口では「ダメヨ」とは言うものの、実際はまるで放ったらかし。
泣き止むタイミングを逸したガキは、更に地団太踏んで騒ぎ始める。
周囲は迷惑な事この上ないが、肝心の親子はまるで配慮している気配がない。

「昔のオヤは……」とノスタルジアに浸っても現実は何一つ改善されず、ひたすらガキが泣き止むのを待つ事になる。
よっぽど怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、いい年した爺さんが、赤ん坊に毛の生えたようなガキを相手に腹を立てるのも癪なので、精神衛生上はよろしくはないものの我慢するしかない。
「子供だから仕方がない」との見方もあろう。
「年端も行かない可愛い子供だから」とかの免罪符も聞く。
しかし、ガラスが擦れたような泣き声を上げる自分の子供を放置するなんて、育児の放棄以外の何者でもない。
我が家の子供も、決して自慢できる出来ではなかったが、それでも公共の場で、傍迷惑に騒ぎ立てることはなかった。
また、少々愚図っても、その場で叱り付けていた。

と、ここで民主党の看板政策「こども手当て」が思い浮かんだ。
頭でっかちの女性評論家諸氏が、「やっと日本にも、子供を社会で育てるとの意識が芽生えた」と賞賛していた政策だが、財源不足で未だ実行されていない。
それどころか自民党からは、民主党と大連立を組む場合は「子供手当て」撤回が必須と迫られている。
民主党内不満分子の小沢グループからは、「マニフェスト見直しは罷りならぬ」と突き上げられているが、どうやら実現も覚束ない厄介者政策と化しているようだ。

当方、こんな似非理想主義のような政策は、百害あって一利すらないと確信する。
何よりも、子供の躾は、血を分けた親だからこそ厳しくも優しく出来るものであり、社会が育てるなどの観念論では、社会常識を備えた子供など育つはずがない。
また、いくら少子化の世の中とはいえ、自ら育て上げる気力も資力もない連中が、勝手気ままな無責任さで子供を作り出しても、結果はマイナスが多いに違いない。
かってポルポト政権下のカンボジアでは、子供は社会のものと決め付け、親から隔絶し集団生活をさせたが、目指した共産主義は全面的に破綻した。
民主党の掲げた「子供手当て」政策は、原始共産制度への回帰を唱えたポルポトの考えと大して変わりない。

新幹線で泣き叫ぶガキと、それを手を拱いて放置している母親。
稚拙な民主党の政策では、更に社会迷惑な親子連れが発生するに違いない。
当方、「子供手当て」なんて、大ハンタ~イだ!