昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

好き勝手な事が言える権利!

人間は誰しも完璧ではない。
間違いも犯すし、間違える事の方が多い。
稀に新興宗教の教祖様が「自分は全知全能の神だ」と言い募ったりするが、大半が食わせ物であり、そんなスーパーマンはいないと思っていて間違いない。
ところがいわゆる社会主義共産主義国のリーダー達は、権力の頂点にいる期間は、全員が一切間違いを犯さない天才的な存在として崇め奉られる。

ロシア(ソ連)のレーニンスターリン、ブレジネフ。中国の毛沢東北朝鮮金日成金正日ルーマニアチャウシェスクキューバカストロ東ドイツのホーネッカー。カンボジアポルポト日本共産党宮本顕治もそうだった。
みな若い頃には、貧しき民を救い平等社会を作りたいとの素晴らしい志を持っていたようだが、末期は権力の亡者と化し、政敵を粛清、反対派を弾圧した。
情報がなかなか公開されないので被害者の数は藪の中だが、どの国でも極めて悲惨な状況であった事だけは間違いない。
またこの手の思想集団の特長として、運動方針をめぐり対立関係になると、まるで妥協のない果てしない権力闘争になり、必ず政敵を抹殺する事態を引き起こしている。
宗教でも同様だが、「異端は異教より憎し!」
凄惨な内部抗争は、生きるか死ぬかの結末を迎えてしまう。

これは決して偶然に起きたものではなく、社会主義共産主義運動そのものに内在する矛盾だ。
これらの理論では、資本主義の矛盾を解決したものが社会主義共産主義であり、歴史的に一歩進んだ体制なのだから、これに反対するのは反動的、反革命的存在になる。
歴史の進展を遅らそうとしたり、古くて悪い時代を懐かしむ輩は、当然粛清しても構わないし、もっと積極的に抹殺すべき対象と認識される。
自分の価値観だけが絶対に正しく、それに反対する価値観は間違ったものと決め付ける。
不思議な事だが、インターナショナル=国際共産主義を標榜していた割には、各国の共産党は仲が悪い。
他国の共産主義は間違い、自分だけが正しいと信じ込んでいるので、国の数ほど共産主義思想がある。
そして、そのどれも実際に共産主義で成功した例がない。

また社会主義共産主義には、一昔前まで日本共産党の機関紙の名前だった「前衛」との考えもある。
これは一部の目覚めた知識階級(=前衛)が、未だ目覚めない多くの大衆の先頭に立ち、局面打開を図る事で革命が成就するとの思想だが、少数エリート主義の裏返しでもある。
何せ「今は未だ支持者が少ないが、正しく世の中を見ているのは自分達だけだ」と思い込んでいるのだから、多数決で物事を決める民主主義など全く関係なくなる。
今は認められていなくても、自分達の行為は全て正しいのだから何をやっても構わない。
その結果、一般的には非合法な手段でも、革命の為には許される事に繋がる。
毛沢東紅衛兵文化大革命時代に唱えた「造反有理」は、まさにこの考え方を端的に表している。

資本主義の矛盾の一つに、格差問題が挙げられる。
「資本家がいなくても生産は可能、生産手段を国有化すれば、資本家が確保してする多大な収益を労働者人民に分かち合う事が出来る。」
社会主義、・共産主義陣営は、生産手段と収益を独占する資本家階級は悪であり、不要だと主張する。
だから、法人税を切り下げ、消費税を上げようとすると、大企業優先、財界ベッタリの悪政と非難する。
しかし、そんなに簡単に割り切れるほど世の中は単純ではない。
今や好むと好まざるに拘わらず、経済はグローバル化され、企業は国際的な競争に勝ち抜くしかないが、あまりに高い法人税を賦課すると、優良な企業ほど日本を脱出してしまう。
一説には世界一高いと言われる法人税40%と、世界一安いと言われる消費税5%では、企業の競争力が損なわれ、結果として日本の雇用も守れない。

更に言えば、社会主義国に格差がないなんて、幻想もいいところだ。
中国の格差なんて、日本の比ではない。
北朝鮮だって、特権階級と一般庶民の暮らしぶりには差があり過ぎる。
他の社会主義国も、内容は大方似たようなものだろう。
何故なら、社会主義国家では、先に述べた「前衛」連中がエリートとなってしまうからだ。
彼らが常に清廉潔癖ならば問題は少ないだろうが、人間、権力を持った途端に欲が出てしまい、自分の利益に反対する勢力を敵として排除する。
結局は、前衛=エリートを中心とした利益団体が形作られ、彼らが特権階級として国全体を支配する構造になる。

社会主義共産主義国家が理想の社会だと考えるのは、全くの幻想に過ぎない。
人間が欲も何もない、公正無私な素晴らしい存在ならば、社会主義共産主義が成立するかもしれないが、生身の人間は、嫉妬深く虚栄心が強く、且つ欲が深い。
自分が劣った格差は嫌だが、自分が優れた格差なら歓迎する。
そんな人間を相手に理想論を唱えても、総論賛成、各論反対がオチだ。
僕から見れば、社会主義共産主義理論などは荒唐無稽な物にしか見えない。
僕は、世の中で最重要で、且つ絶対に譲れないのが、この違う意見を自由に述べる事が出来る権利であり、行動の自由だと思っている。
ブログで時の政権をボロクソに貶しても何一つ罪にならないなんて、なんて素晴らしい権利だろう。
そして、この自由がない社会主義共産主義国家を嫌っている。
資本主義社会には諸々の問題点があるのは事実だが、それでも社会主義共産主義社会よりもマシだ。

しかし、世の中の何%の人は「これこそ人類を救う崇高な理念」と思い込み、その実現に努力している。
僕はその考え方を理解できないが、しかし昔のような、その考え方が弾圧されるような社会を望んでいるわけではない。
ただひたすら、共産主義社会主義の考えが多数派にならない事を念じている。