昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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グローバル時代のマネジメント

10年ほど前、「営業マンのあり方」について纏めさせられた事がある。

当時は、ちょうどグローバル化が喧伝された頃で、優勝劣敗、弱肉強食が正義だと言われた。
血も涙もない人員解雇で、GE立直しの大成功を収めたジャック・ウェルチ型経営が持て囃されていたし、経営難に陥った日産自動車に、ルノーからカルロス・ゴーンが乗り込み、下請けメーカーを含めたそれまでの家族的経営スタイルを一新、徹底的に競争を強いる体制に変えた。
それまでの日本的な、調和とか談合とかの文化が全面的に否定され、プロセスは問わず最終結果の利益だけが全てと、企業文化が大きく変わった。
こんな時代では、買い手側の顧客も「それまでの付き合い、信頼感」より、価格優先の姿勢に変わってしまう。
売り手側には、如何にうまく顧客に取り入るかが営業マンの能力と認められていた時代から、価値観が大きく変化する不安と危機感が充満していた。
そんな殺伐とした時代を背景に、「我が社も変わらなければならない」と、全社を挙げて「新たな販売システム構築」を模索することになった。

当方は、入社以来営業一筋。
営業の第一線で、日々同業者相手に、斬った張った、盗った盗られたのバトルを繰り返してきた。
どういう訳か、時のトップは、そんな会社きっての武闘派に、「今後の営業のあり方」と「新たな販売システム案」を纏めるように指示してきた。
当方はもとより、そんな都合のいいノウハウなど存在しないとの考えだったが、一方顧客の方は「安い品物を使いこなす」事を優先し、積極的に海外品使用まで検討を開始している。
確かに、それまでの「どうすれば担当者は顧客に気に入られるか」や、「高品質高価格」を目指す営業のあり方が壁にぶつかっていた。

そこで先ず、それまでの営業のやり方と、優秀な営業マンのイメージを特定した。
   ・営業スタイル
     担当者多数の人海戦術
   ・対象領域
     徹底的に国内需要の奪い合い。
   ・担当者の意識
     護送船団の隣組で談合体質
   ・担当者の個性
     個性豊かな千両役者=手練手管=三国志&梁山泊=花形職人=将棋の世界
   ・しかし、日本型価格決定プロセスは全く不透明。
そして、今後進むべき道は
   ・少数精鋭
   ・分業の徹底=個人ではなく組織プレイ= ヒーロー不要、近代的総力戦=囲碁の時代
   ・使命(Mission)の達成
   ・情報公開(情報独り占めと秘密主義の排除)
   ・価格体系創出=価格決定プロセスの明確化
   ・数量・デリバリ距離・品質・関係(Partnership)で価格決定
   ・公正さと透明性と説明責任の世界(Fairness & Transparency with Accountability)
   ・優勝劣敗、弱肉強食、先手必勝の世界=国際化(グローバル化)への対応
   ・在庫削減、最終的には受注生産がベスト
と主張した。
今でこそこんな考えは珍しくないが、当時の営業としてはかなり斬新で、結構注目された。

10年経過して振り返ると、海外との競争は、まさに現実のものとなってきた。
日本式の曖昧模糊とした抽象的表現では、かえって誤解を招き、事態の解決が遅れてしまう弊害も増えている。
担当者の腹芸で決まり勝ちだった価格交渉も、かなり透明性が上がってきた(様な気がする)。
世の中は、益々理屈で割り切る風潮が強まっている。

しかし最近になって、敢えて、このようなグローバル被れの考え方に違和感を持ち始めている。
どんなビジネスでも、最前線では顧客の奪い合いがあり、そこで勝負が決まる。
どんなにグローバル化が進もうとも、顧客が青い目の英語使いに変わり、価格最優先の購買方針に変わろうとも、世界にたった一つしかないものや、特許で守られた商品でもない限り、必ず競争が発生するし、その競争を有利に進めるためには、最前線からの情報や、顧客からの信頼感で差がついてしまう。
だからこそ、そこに創意工夫した営業の腕の見せ所が存在する。
現場力は、どこかの誰かが頭で考え付いたマーケティング論や、マネジメント読本にも匹敵する。

西洋人が唱えているマネジメントが優れていて、野暮ったく古臭い日本式は時代遅れなのか。
効率を最優先し、無駄を削ぎ落とす事が競争力強化になるのだろうか。
グローバル競争などと称してはいるが、実は欧米企業が国際的に自由に跳梁跋扈する為の免罪符みたいな気もする。
しかも、激烈な競争を繰り返し勝利者になったはずの国際的エクセレントカンパニーが養っている社員など、世界人口の1%にも満たないだろう。
そんな競争に勝ち抜いたところで、地球規模で発生している矛盾解決からは程遠い成功でしかないし、日本国民のほとんど全てに不幸せを押し付けてしまう。

成功企業とその周辺だけが良い目にあっても、尊敬を集める事など出来はしない。
むしろ、向う三軒両隣、乏しきを分ち合うような日本式協調と談合文化の方が、実は優れたマネジメントではないだろうか。
と、すっかり昔のスタイルにノスタルジャを感じている。
やはり、アッシは(鶴田浩二の様に)古いヤツなのでしょうか?!