昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ザ・ラストバンカーVSザ・ラスト○○屋

かなりの時代遅れだが、数年前のベストセラー「ザ・ラストバンカー」を読んだ。
存在感のある、顔の見える銀行屋として、畏敬と尊敬を込めて「ザ・ラストバンカー」と称された、元住友銀行の辣腕頭取、西川善文の自叙伝だ。
「ザ・ラストバンカー」は褒め言葉で、本人もお気に入りのようだ。

西川善文とは、実績も知名度も、「雲泥」どころか「雲糞」ほどの差がある僕は、誰も呼んではくれないから、仕方なく「ザ・ラスト○○屋」と自称している。
こちらは褒め言葉にもならない。
しかしそれでも、世間では褒め言葉ととられる言い方を自分に使うとは、「鼻持ちならない自己過信オトコ」と呆れられるかもしれない。
しかしそれなりに、正当化できる理由がある。

僕が入社以来担当した製品は、当初こそ会社の看板だったが、度重なった経済環境の変化や試練への対応が悉く遅れ、先輩諸氏の奮闘努力にも拘らず国際競争力を喪失、すっかり衰退産業に落ち込んでしまった。
その結果、設備投資を伴う、攻めの施策、方策などまるで影を潜め、最近では経費削減や合理化が最優先されている。
担当者はドンドン年を食いロートル化、若手や優秀な人材投入もない。
そんな分野だから、僕のように、苔でも生えたかのごとく、ただ一途にそんな分野の担当を続けた要領の悪いヤツは、他に誰もいなかったし、今後とも登場するはずがない。
だから「ザ・ラスト○○屋」と自称しても、何の自慢にもならないし、他人様から「生意気だ」「思い上がっている」とクレームがつくはずもない。

「ザ・ラスト○○屋」には、理屈よりも経験則からくる事業再建の夢とプランがあった。
「金があれば、あれをこうして、これをああすれば必ず立て直せる」と気宇壮大な妄想があった。
何とかして、長年自分が担当した製品で、世界を相手にもう一勝負したかった。
しかし残念ながら、それはかなわぬ夢だった。
会社には資金面での余裕がなかったし、万一あったとしても、そんな夢を理解する経営者はいなかった。
万々が一、事業を理解できる経営者がいても、その人が僕を起用してくれる可能性は皆無だった。

結果として、「ザ・ラスト○○屋は、会社からこの事業の立て直し役を任じられる事もなかった。
会社は、長年にわたって悪化した事業の渦中にいた「ザ・ラスト○○屋」は、全く頼りにならないと判断し、別の分野で育った人物の、新しい感覚での立て直しを選択した。
哀れ「ザ・ラスト○○屋」は、定年直前になって、それまで35年間在籍したホームグラウンドからまるで別世界へと追われてしまった。

泣きの涙で赴いた先は、それまでの事業に勝るとも劣らないほど面白かったが、それは結果論。
担当を離れて既に5年以上がたったが、元担当していた事業について、今でも日経新聞の関連記事は気になるし、昔の仲間と会うと口角泡を飛ばして議論を重ねる。
「ザ・ラスト○○屋」は、まだまだ成仏できていない。