昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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敬虔な無宗教徒の思い

宗教は、他人に迷惑さえ掛けなければ、誰が何を信じようと自由。
しかし往々にして敬虔な信仰を持つ人ほど、自分が信じている宗教の素晴らしさをもっと多くの人に分かって貰おうと他人を掻き口説き、自分の宗教にひきずりこもうと努力する。
全く「お節介」なのだが、本人は「これこそ大衆を導く究極の教え」と単純に信じ込んでいる善意の塊なので始末が悪い。

当方の人生は、他人様に恥じ入るようなものではないと確信しているが、さりとて他人様に自慢できるような実績もない。
「神様にすがらなければ、将来は不安で絶望的」な程に思い詰めてもいない。
しかし、様々な理由から神様を深く信仰している人を、馬鹿にもしていない。
貴方はアナタ、ワタシは私!
だから正直な思いは、「貴方の信じる神様がどんなに素晴らしくてもソレは貴方への限定版、どうかワタシを放っておいてください」だ。

学会、別名創価学会を信仰している人たちは、特に「お節介」傾向が強い。
彼らの仲間内では、祈伏と言うらしい。
将に言いえて妙なりの漢字で、仲間に引き込む為なら、相手が嫌がろうと遮二無二説き伏せる行為を彷彿とさせるが、余りにしつこいので社会問題化した事もある。
当方が祈り伏せられる立場になったら敵わないので、「君子危うきに近寄らず」。
創価学会員との付き合いは極力御免蒙っているが、それでも近所付き合いでやむを得ない場面も発生する。

30年以上前に住んだアパートの隣が、新婚ホヤホヤと思われる若夫婦だった。
廊下で旦那の方にバッタリ会うと、「ご主人、イイ映画がありますから見に来ませんか」と誘われた。
当方、この手のハナシには目がない。
「イヤァ、僕はアンマリそんなの好きじゃないんですけどネェ」の言葉とは裏腹に、期待に胸を膨らませ、舌なめずりをしながら彼らの部屋に赴くと、上映されたのは何と創価学会の運動会記録映画。
隣近所とは上手く付き合いたい、諍いは全く好まない温厚な気質な当方も、さすがにこれには呆れた。
いつもなら、自分が我慢して済むのなら、腹の中はともかく、作り笑顔でその場を収める習癖があるのだが、しかしこの時ばかりは、あまりの思惑外れに即刻席を立った。
旦那は、「今からもっと面白い場面が続きますヨ」と引き止めたが、そんなの見る気にもならない
創価学会員が必死にパンくい競争に興じようと、達磨ころがしや綱引きで、どっちのチームが勝とうと、こっちトラ全く興味がないモンネだ。
その後は、当然ながらこの隣人夫婦とは没交渉となり、ホッと胸を撫で下ろした。

最近では、近所にすっかり売れてきたお笑い芸人兄弟の両親が住んでいる。
この家族は全員揃って熱心な創価学会の信者で、選挙のたびに○○氏後援会とか、励ます会の会員になって欲しいと頼まれる。
当方の選挙に関する基本哲学は、「共産党創価学会以外なら、誰でも後援会員になる」との、極めてイイカゲンなものだが、この母親がとってもいい人なので、例外的に公明党候補者の後援会名簿にも名を連ねる。
しかし創価学会への妥協もソコまで、選挙で公明党に投票することはないし、どんなに折伏されても創価学会を信仰する気などサラサラない。
創価学会も昔ほどは強引な折伏はしていないようで、学会の幹部と言われるこの芸人家族との付き合いが今以上に深まる可能性はなくて済みそうだ。

ただ世間話の中でも、問わず語らずながらも、「あの有名人も学会員、あのスポーツ選手も学会員」のニュアンスがにじみ出てくる。
そうした有名人の存在が、一般大衆の創価学会への興味アップや親近感に繋がっているのも間違いない。
確かに創価学会の広告塔の役割を果たしている、芸能人やスポーツ選手の多さには驚いてしまう。
サッカーの中村俊輔はつとに有名だが、この度マンチェスターユナイティッドと契約して日本中を歓喜させた香川真司もそうらしい。
明日が保証されていない芸能人やスポーツ選手が宗教に救いを求めるのも宜なるかなだが、本人にとっては悩みを解決したいだけの純粋な思いを、有名人だからと言って布教に利用する体質にはどうにも違和感を持つ。
何より、別に有名人だから人品骨柄が優れているわけではない。
むしろ実際は、多くの有名人こそ、気難しかったり、変人だったりするものだ。

当方は、創価学会だけではなく、キリスト教も、果ては我が家も檀家の一つである曹洞宗にもまるで無縁。
苦しい時だけは、神様にも仏様にもお祈りをするが、通常は敬虔な無宗教徒として、いかなる宗教からも遥かに距離をおいた、至って自由気ままで快適な生活を送っている。