昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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今迄の仕事を振り返ると

サラリーマンとして担当した仕事は、ほとんど営業一本。
顧客に‘きかけ⊆?影?譴討發蕕き9堝阿魑こしてもらう、そんな稼業の繰り返しだった。
そして他の仕事を何も知らないので、会社では営業が一番大事だと単純に思い込んでいた。

実は若かりし頃の一時期、そんな営業現場を外された事がある。
後日聞いたところ、営業だけでは考え方が偏ると懸念した上層部の配慮だったらしいが、当時はそんな親心を理解するには若すぎた。
しかも若気の至りで、自分は営業として一番脂がのっていると自信があったし、自分が現場を離れるのと戦力ダウンしてしまうとの思い上がりも強かった。
将に鼻持ちならない人間だったし、だからこそ大先輩達は他のセクションでの武者修行が必要と考えたようだ。

与えられた新部署は企画管理部。
今度は顧客ではなく、社内の営業担当者が相手の仕事に変わった。
ここでは直接情報ではなく、間接情報が判断材料になる。
勢い、信頼出来る情報源と、危うい話をかぎ分けないと、状況判断を誤ってしまう。
何せ他人の情報で方針を決めるのだから結構度胸のいる仕事だったし、他人の情報を評価する術が身に着いた。

しかし一日中会社にいるのは、全く面白くない。
実は新部署は、会社のエライさんに取り入るチャンスも多く、社内ではエリートコースだったらしいのだが、現場大好き人間には全く物足りない。
会社のエライさんにも醜悪な部分がたくさんあり、それが見たくなくても見えてしまう。
会社で出世するのは能力だけでなく、むしろ上司から気に入られるか否かの方が大きく、そんなくだらないことに現を抜かす輩が多いのに気がついたのもこの部署の時だった、
絶好のチャンスと励ます人もいたが、そんな底割れ連中にゴマをする気にもなれず、様々な即刻脱出策を画策したが、それでも四年間ほど座敷牢生活を余儀なくされた。

やっと営業現場に戻った部署で、いきなり国際競争に巻き込まれたのは、以前に書いたことがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/saraam_s/62628042.html
しかし四年間の管理部門の経験を経て、自分では気がつかないうちに仕事への関わり方が変わっていた。
一番は、それまでの営業現場にありがちの売上げ至上姿勢が、収益最優先に変わっていた事だ。
更には、現状を丁寧に説明し、社内の理解と協力を得ながら仕事を進めるようになっていた。
国際競争とは、一時的に大幅な値下げが必要になり、収益への悪影響も大きい。
それでも一歩踏み出さないと、事業のジリ貧が避けられない。
その為には全社を挙げたバックアップが必須なので、四年間の縁の下の仕事で培った人脈が早速に役立った。
爾来、営業最前線で仕事を続けたが、周囲には常に「この仕事で儲けないと駄目」と言い続けるウルサ型爺ィとして煙たがられている。

この間接部門の経験は、人生観にも影響している。
要は、どんな仕事にも無駄はない事に気がついたことだ。
当たり前だが、最前線の営業が成果をあげる為には安定的な商品供給が必須であり、その為には競争力のある原材料調達、付加価値をつける製造部門もまた絶対に欠かせない。
自分だけが働いているのではない。
営業の価格交渉は、一声10円とか結構大雑把になりがちだが、製造部門は1円を稼ぎ出すのが大変だ。
TQCでは「次行程はお客様」と教えられるが、「前工程は同志」だ。

嫌で仕方がなかった管理部門の仕事だったが、今では感謝している。